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男たちの大和/YAMATOの教授のレビュー・感想・評価

男たちの大和/YAMATO(2005年製作の映画)
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とっても長い上映時間。約2時間半。この映画の良いところを必死に探してみたのだけれど、全く見つけることができなかった。
とにかく…嫌だった。

冒頭の、現代からのシーン。意味深な鈴木京香と仲代達矢。子役時代の池松壮亮。
この不自然な設定と、唐突で説明的な台詞。この現代パートはこの後もとにかく「とってつけたような」エピソードと展開で、丸々カットしても構成上必要ない。むしろ単なる「戦争の昔話」をする為の機能を果たしていて、非常に侮辱的な構成になっている。

その「昔話」としての戦争中の「大和」に関する物語なのだが。基本的に…戦艦大和は単なる舞台以上の何物でもなく。
ただ戦艦大和の乗組員の「場所」として描かれ、とにかくわざとらしく鈍重に喋る反町隆史と、とにかく無意味な凶暴さを撒き散らす中村獅童もそれ以上の内面がちっとも浮かび上がらない。
松山ケンイチも含む若手の乗組員たちのエピソードも単調。日常と言うには非日常で、非日常というには淡々としていて、段取り以上のものがない。

それ以上に問題なのは、とにかくひとつひとつのエピソードに対して、人間の感情が「悲愴感」一点に尽きているところ。
笑いがあったり、泣きがあったり、怒りがあったり。また、悲しみを笑いでくるんだり、微笑ましい日常に戦争の痛ましい影が付きまとっていたり、というような「映画」だからこそ表現できる工夫が皆無なところ。

状況や感情は台詞で説明されるだけに留まらず。悲しいところは悲しいと描かれる。
それが終盤の松山ケンイチと蒼井優の若い恋人たちの件。反町隆史の賭場でのとにかく面倒くさい演説。中村獅童と寺島しのぶの関係性など。
タイトルにある「男たちの大和」が悉く「女々しさ」に溢れ、これから「死に向かう」上での「悔いのない生の躍動」すら削いでしまう。
ギリギリの状況ですら綺麗事を言い合う姿には醜悪さ、人間の尊厳に対しての冒涜すら感じる。

酷く情緒的な展開の羅列から浮かび上がるのは、戦争自体、その時代に対する矮小化と軽薄さであり。
安っぽい勇しさ、いい加減さの方を露呈させてしまっている。
それ故に、史実も含めて、CGでできた単なる鉄の塊に過ぎない大和と、片道分の燃料だけで特攻しつつ、最終的に「総員退去」の命令を出す中途半端さも含めて。「男たち」や「戦艦大和」の持つ「精神論」の脆弱さしか感じなかった。

個人的に、心底不快な映画作品であった。
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