とあるパチーノ

市民ケーンのとあるパチーノのネタバレレビュー・内容・結末

市民ケーン(1941年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

オチしか覚えてなかったけども、改めて観たらいつぞやよりストーリーを理解出来て全然面白かったです。
ネタバレ後にもう一度観ても楽しめる映画の走りだったりするのかなと思いました。

最後の肝心な所で、
“You mustn't go. You can't do this to me!”
と言ってしまう、晩年の痛々しい歳の取り方がしみじみ来る一方で、
カツラで半端なく長くなってる頭頂部やら、耳の裏に異常にシワが寄ってる特殊メイクやら、細部にやたら目が行ってしまって、
作品自体に入り込めていない自分自身が気になって、複雑な感覚で鑑賞。

(複雑な感覚について、以下完全に自分用のメモとして)
・当時の人にとってこの映画は、
自分で言うPCエンジンで初めて天外魔境を遊んだ時の、'ゲームから声が出た時の衝撃'のようなエンターテイメント作品だったんじゃないかという感じ。

この映画は当時の最新の技術やギミックを駆使して撮られたのかなと思いつつも、
今見るとどうしてもしょぼかったり、後々の映画のせいで既視感があったりで、
今の子供達が天外魔境では僕と同じ興奮を味わえないであろうことと同じような感じで、
当時の人と同じような感覚で僕は興奮出来なかった事が残念な気がする映画。

・個人的にジャックニコルソン好きの自分がシャイニングにはあまりハマらなかった気がしているのも、この映画と同じようなところに原因があるのかも。また見直してみよう。

・クリストファーノーランが言うところの、今の技術の粋を集めても所詮は今の技術であって古くもなるし、将来的にはリアルな映像で撮るに勝るものはないっていう考えの上での彼の作品が、
実際未来の人にはどう見えるのか、この映画を観て興味が湧いた。