たけちゃん

市民ケーンのたけちゃんのレビュー・感想・評価

市民ケーン(1941年製作の映画)
4.0
金持ちじゃなければ、私は偉大な男になっていた!


オーソン・ウェルズ監督 1941年製作
脚本、主演オーソン・ウェルズ


1日過ぎましたが10月10日はオーソン・ウェルズの命日でした。今年「レディ・プレイヤー1」を観た時、どうしても「市民ケーン」を観なきゃ!と思っていたので、この機会に取り上げることにしました!

これだけ有名な作品なのに、なんと初鑑賞(///∇///)♡テレルゼ ←テレルハナシジャナイ



うーん、初鑑賞だと、評価が難しいなあ。
実は、1回目観た時、よく良さが分からなくて、もう1回観直しました。最初はストーリーに頭を使い過ぎて、演出まで気が回らなかったんです。
でも、2回目観たら……。


やっぱりすごい!
これ、1941年の映画ですからね。
オープニングの流れがとんでもないですね。
ケーンが亡くなるまでの僅か3分程の映像、そして、カットの技法に驚きました。
屋敷の絵があのスノードームに落とし込まれ、割れてナースが入ってくるシーンは何度でも観たいと思っちゃいました( ˘ ˘ )ウンウン

他にも、スーザンの店にカメラが入っていくところとか、当時、どうやって撮ったのかなぁ……。創意工夫の塊だよね!


その日、一人の男が死んだ。
彼の名はフォスター・ケーン
彼はどんな人物だったのか?
大統領にもなれた男の「人」と「なり」を探る
彼の臨終の言葉は「バラのつぼみ(Rosebud)」
「バラのつぼみ」とは何だったのか……


この「バラのつぼみ」は映画のマクガフィンなんですね。確かにこの構成は「レディ・プレイヤー1」のそれと一緒だ!

【このレビューには、レディ・プレイヤー1のネタバレが含まれています】笑笑←コウイウチュウイガキ、ドッカデミタナ




「レディ・プレイヤー1」は、VR社会という斬新な設定を使いながらも、実に古典的なストーリー展開よね。そのため、様々な小ネタの数々に歓喜しながらも、手放しで満点になる作品でもなかった。僕のフィルマ評価は4.2ですもんね。でも、それは正当な評価ではなかったのかも……。


レディプレの主人公はパーシヴァルことウェイド・ワッツだけど、ハリデーに注目して見直すと、ちょっと違うものが見えてきます。
映画はVR「オアシス」の設計者ジェームズ・ハリデーが亡くなり、彼がゲーム内に隠したとされる「イースターエッグ」を探し求めるストーリーだが、実はそれはハリデー自身の過去を知る旅でもあった。レディプレのマクガフィンは、もちろん、イースターエッグです。

同様に、「市民ケーン」もケーンという一人のアメリカ人を知る過去への旅を行うのです。そこで映画は「バラのつぼみ」の意味を知るために、彼を知る人々に聞いて回りますね。この役回りが、レディプレではウェイドだったんです。

マネージャーのバーンスタイン
最初の妻エミリー
再婚相手のスーザン
親友のリーランド

そして、少しずつ分かってくるのです。
ケーンの孤独が。


親友のリーランドとケーンの関係も、レディプレのハリデーとオグデン・モローの関係と同じだよね。ケンカして、会社から追い出すところも同じ。
ケーンもハリデーも金持ちではあったが、孤独でした。



あぁ、そうそう「ウルフ・オブ・ウォールストリート」も似てたなぁ。ケーンの即物的な思考法がそっくり。レオ様扮するジョーダンが成功してパーティを開くシーンとケーンが新聞社でパーティをするシーンとか全く同じよね。あと、最初の妻と別れ、新しい恋人を作り再婚するくだりとかクリソツ。でも、ジョーダンの人生は実話だけどね(笑)



そして、ハリデーの宝が美味い飯……ではなく、親友のモロー、そして、現実での繋がりでしたね。
ケーンの最後の言葉「バラのつぼみ(Rosebud)」は、ケーンのソリの名前だったわけですが、これは彼が家族、特に母と別れて失った物、お金では手に入らない物、すなわち愛の象徴なんです。

以前、「赤ひげ」のレビューに、コップに注がれた水が溢れ出るように、愛されて、それが満ちて始めて人を愛することができる、と書きましたが、今作も同じことを伝えていますね。ケーンは愛され足りなかったんです。だから、求める愛し方しかできない。


どちらの作品も、本当に大切なものはお金では手に入らない、それを伝えるものでした。
僕もようやく作品の価値が分かりました!
やっぱり名作は、名作たる理由がありましたね。
これ、リアルタイムで観ていたら、満点評価になったかもなぁ……( •̀ω•́ )و✧