継

いぬの継のレビュー・感想・評価

いぬ(1963年製作の映画)
4.5
刑期を終えて出所したモーリス。
高架線下の暗がりをワンカットで歩く。
管楽器とヴァイブラフォンの マイナーコードなジャズ。
同じ旋律をアレンジだけ変えて使い回すのではなく、
本作は場面に応じて編成を変え、異なる曲を聴かせてくれるのが楽しい。

LE DOULOSの解釈をめぐるモノローグとそこから幕を開けるザ・フィルムノワールな雰囲気で、タイトルを帽子<密告者として意識さすイントロダクション。
屋根裏の三角部屋の壁面や窓にユラユラと揺れる人影、クロークへ預けた帽子の預かり札の番号[13]、ニヒルなベルモンドが不意に見せるピース✌️サインさえ何かを予見するかのよう。

服装や車種、酒、警察やバーの内装などアメリカのそれを意識した本作。
コットンクラブというアメリカンな店で、一聴して “テイクファイブ('59年のヒット曲)” の変奏曲と分かる5拍子のジャズを聴かすのも、ジャズ好きなメルヴィルのジョークかも?しれない。

話そのものはシンプル。けれど登場人物は多く、真相は掴みづらく、お世辞にも良いと言えないモノクロ画質と読みにくい白抜きの字幕は、容赦なく鑑賞の集中力を奪う(笑)。そうした意味でフィルムノワールが好みでない方にはストレスを感じる作品かもしれません(>_<)。

モーリス、シリアン、そして後に『サムライ』でコステロが対峙することとなる「鏡」。メルヴィルは彼等に何を見せたのか... 。

=== 以下はネタバレを含みます🐶ご注意下さい🎩 ===


虚実が判然としない台詞と、動機が判然としない演技でミスリードを誘うストーリー。
観る者は終盤まで種明かしを待たねばならず、そこから全てを反芻して同時に以降のストーリーを追うというのは、初見ではまず不可能です。

2度3度観て漸(ようや)く “そういうことか” と理解出来る作り。
本作はそうして観られるのを半ば前提とするかのように、シリアンに理論武装を強いて言動の辻褄を保たせ、更にいぬ探しだけに終わらない終盤の魅力を持ってして作品の強度を高めているように思います。

ヒントを散りばめるような媚びを売らないメルヴィルですが、シリアンとテレーズが挨拶を交わす場面でよそよそしい態度や不自然な表情を演出して犯人探しの微かな糸口を提示してます。
ここでテレーズ=いぬと仮説を立て紐解いていけば確かに辻褄は合うんですが、補完が必要な箇所が多過ぎるんですね。初見では怪しい?と疑うまでが精一杯でした。

答え合わせのバー、回想に寄り添うピアノ。
降りしきる雨は誤解を洗い流し、涙のようにやがて帽子から滴り落ちる。

原作の、メロドラマ的な着地を良しとせず、
[死ぬ順番]をひとひねりして入れ替え、映画は敢えて難度の高い降り技を試みます。
無常感を煽り、既視感を裏切り、観る者を唖然とさせた末に用意された着地点ー、最期の台詞と最後のカット。
これだけ捻(ひね)ると普通、どうしたってやり過ぎ感が残るものですが、そこは流石の切れ味。
一切の余韻も与えない幕引き, “LE DOULOS” .
メルヴィルの美学が色濃く滲む作品でした。
継