かきぴー

シン・レッド・ラインのかきぴーのレビュー・感想・評価

シン・レッド・ライン(1998年製作の映画)
3.4
戦争映像と並列して差し込まれる「自然の美しさ」と「哲学っぽい語り」が何を指し示しているのか?と考えてるうちに映画が終わった。

一旦、テーマは置いといて戦争の映像についての感想。抑えるべきポイントはきっちり抑えていてある程度の満足感はあったものの、戦争映画は良いものが多いだけに少し物足りないと感じた。最後の方の偵察に行った3人に対し川からたくさんの日本兵がじんわりと寄ってくるカット(あれです)みたいのがもう少し散りばめられてたら、感情的にやられてた(やられたかった)。

残念だったのは状況がわかりにくいこと。少なくとも私はそう感じた。要因は「登場人物」と「場所説明」だと思う。登場人物については、人が多いわりにキャラが薄いなと感じた。もちろん丁寧に描く時間がないのはわかるが、印象的なクセや話し方、性格、好き嫌いなどワンポイント入れてくれれば「あ、この人ね!」ってわかると思う。それから、場所説明はその字面通り「あれ、ここどこ?」が結構あったかなと。

さぁ、テーマに入ろう(気が重い)。
正直に言うと、私はあまり理解できずに終わってしまった。どうも「自然の美しさと戦争、ひいてはそれを起こした人間の愚かさの対比」だけでは理解不十分な気がしたからだ。それだけだと、「あの語りはなんだったんだ!」「あのラストはどういう意味だ!」と思わずにはいられないからだ。もしテレンスマリックが「戦争よくない!」と言いたい<だけ>だとしたら、申し訳ないが私としてはこの作品を好意的に見ることはできない。なぜなら、それだけがテーマならばあの「自然美」や「語り」は、なんとなく差し込まれたものになってしまうからだ。いや、なんとなくというのは語弊がある。正確には、「ひとつひとつに意味はあるが、それらをつないだ時に貫かれる大きなテーマが浮かび上がって来ない」という方がしっくりくる。

もちろん反戦がテーマなのは間違いないと思うが、私はあの意味ありげな演出の裏には真のテーマがあると信じたい。何度も言うがなんとなく差し込まれただけの場合は真のテーマの読み取りは困難になる。

ここから私の解釈。登場人物たちは全員「やりたくないことをやるために自分を納得させるいろいろな理由」を模索してるように見えた。「良い人間なら死んでも苦しくない?」「愛があれば死なない?」「人間の魂は実はひとつ?」「人間も自然の一部、だから美しいはず」などなど。それぞれがいろいろな哲学的問いをするのだが、大切なことはその問いの結果ではなく、問うこと自体だと主張しているのではないか。問いをする者は最後まで冷静で正確な判断をしていた。問いという行為自体が窮地でもその個人の人間性を失わずに済む…ですかね?

あぁ、わからん。よくわからないものをよくわからないまま褒めるのはイヤなので今回はこんな感じ。

それにしてもハンスジマーはニクい(褒め
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