おはらっち

機動戦士ガンダム III めぐりあい宇宙編のおはらっちのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

本編の一番重要なエピソードは
やはりアムロとララァが
心を交えるシーンだと思うが
その真の意味までは
あまりに抽象的に表現されているため、
当時十代前半だった自分にとっては
どうも理解ができなかった。

でも、ガンダムの公式ページに
アニメ評論家の下記の解説(TV版)
を読んで、やっと腹落ちしました。

プラトニック・セックスだったとは…
ホントに大人向けの作品です!


https://www.gundam.info/special-series/native-gundam-remastered/special-series_native-gundam-remastered_20080429_192p.html
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出撃直前、シャアに抱擁されキスを受けるララァ。
大佐への心配をノーマルスーツの着用を願うことで表現する。
そして、唇に残った感触を手で確認するララァ。
本作で主眼となるララァの悲劇は、アムロと精神的には交歓できたものの、結局はシャアとの肉体関係を優先したことが原因だ。
落着点への伏線は、この「肉体的接触」で自然に埋めこまれているのだ。

アムロとララァの殺意の交流は「思惟の直結」を招き、最終的に「愛の交歓」に近しいものに変化する。
Bパートで「2人の世界」は「光の充満」で描かれるが、「歓喜」あるいは「エクスタシー」に通じると見れば分かりやすい。もうひとつ生命の源流「海」のイメージが重なっていることにも注目。
全体が「プラトニック・セックス」とでも言うべき状態であることも、こんな積みかさねから分かる。
シャアの「戯れごと」という言葉も、その方向性を示唆している。

ララァの立場はアムロとシャアの三角関係の頂点であるが、これは「精神と肉体」あるいは「バーチャルとフィジカル」のはざまに置かれたと見ることができる。
アムロがシャアを滅ぼすことを恐れた彼女は、アムロの刃を自分の身体で受け、関係に決着をつける。
結局、肉体がなければ人の思いさえも存在しえないというのが結論なのだが、それはララァの肉体の崩壊という代償をともなっていた。
悲劇はその引き裂かれた関係性に生まれる。

「ああ……アムロ。刻(とき)が見える」ララァの肉体が蒸発する寸前にアムロへ残した言葉である。
「時」は自然界に流れる時間だが、「刻」と書けば人間が時間に意味を与えたものとなる。
「時間が来た」と「その時刻を迎えた」では意味合いが異なるわけだ。
そんな哲学的な思索のための素材が、このエピソードには充満している。
おはらっち

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