コッポラ監督の「メガロポリス」(2024)の前作。「胡蝶の夢」(2007)、「テトロ 過去を殺した男」(2009)に続く私的インディペンデント三部作の三本目。ホラー作家の再生を描くダーク・ファンタジー。原題「Twixt(二つの間で)」。「カイエ・デュ・シネマ」誌 2012年ベスト映画第3位。
落ち目の作家ボルティモア(ヴァル・キルマー)は寂れた町の雑貨屋で“魔女狩り小説”のサイン会を開くためにやってくる。そこにミステリー好きの保安官がやってきて「近くの湖で発見された胸に杭を打たれた身元不明の少女の遺体が保安署にあるので、それを題材に一緒に本を書こう」ともちかける。この町にはエドガー・アラン・ポーが宿泊したチカリング・ホテルがあり、七つの時計がバラバラな時間を指す時計台がシンボルになっていた。そこはかつて教会で、フロイド牧師が12人の孤児を悪魔から守るために手にかけたという呪われた歴史があった。ボルティモアは謎の少女V(エル・ファニング)とエドガー・アラン・ポーの幻影に導かれ、<現在と過去>二つの事件の真相を紐解きながら“吸血鬼小説”の執筆に取り組むが。。。
コッポラ監督としては「ドラキュラ」 (1992)以来19年ぶりのダーク・ファンタジーとなる。そもそもコッポラの映画業界スタートはロジャー・コーマン門下でのホラー畑だった。“エドガー・アラン・ポー怪奇シリーズ”「怪談呪いの霊魂」(1963)の台詞執筆に始まり、劇場デビュー作はゴシック・ホラー「ディメンシャ13」 (1963)、さらに同年にはコーマンらと共同監督で「古城の亡霊」(1963)を撮っている※ノークレジット。本作は言うまでもなく原点回帰、原点回懐の一本と言える。
なので、主人公である“娘の事故死の記憶に向き合うことで再生する作家”に監督自身が投影されている事は容易に想像できる。実際、1986年に長男ジャン・カルロ・コッポラをボート事故で亡くしているのだ(享年22歳)。本作公開直後のインタビューでコッポラ監督は嗚咽しながら「この映画を作ったことによって、自分の心の底でどれだけその事故について責任を感じているのかがよくわかった」「これから作る映画はすべてパーソナルなものであるべきだと思っている。映画を作ることで学ぶのは、自分が今何と向き合っているのかということ」と語っている。
というわけで本作の感想だが、まずは七面時計台の発想とビジュアルが秀逸。時の壊れた世界で作家が自身の現在と過去に向き合う設定は面白い。教会で囲われる12人の孤児は「コルチャック先生」(1990)の裏返し=ホロコースト、川向こうの80年代ヒッピーを保安官が敵視する構図は「イージー・ライダー」(1969)と、若年層を理解せず傷つける大人たちの姿をダークホラー様式を借りて見せている。それぞれのビジュアルも好み。
しかし終盤、作家が娘の死と向き合ったところでコッポラ監督は満足してしまったようで、物語の締めくくりがあからさまにおざなりになったのはとても残念だった(あまりにもストレートに本音を打ち出したことに対する映画監督としての照れ隠しのようにも受け取れる)。
エドガー・アラン・ポー関連について。生き別れた最愛の女性が別の女性の体を借りて甦る設定は「ライジーア」をはじめポーが好んだ設定。同作を映画化したのがコーマンの“エドガー・アラン・ポー怪奇シリーズ”最終作「黒猫の棲む館」(1964)となる。本作は同作の翻案としての要素も含まれている。
ちなみにポー本人の霊が登場する映画としては英アミカスプロの傑作ホラー「残酷の沼(第四話ポーのコレクター)」(1967)が思い浮かぶ。コッポラ監督は観ていただろうか。