レインウォッチャー

BIUTIFUL ビューティフルのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

BIUTIFUL ビューティフル(2010年製作の映画)
3.5
移民の裏社会に生きる男が、病で自らの余命が幾許もないと知る。幼い子供達に少しでも良い環境を遺そうと奔走するが、運命は残酷な方へ方へと彼を追い込む。その間にも刻々と時は迫り…。

BIUTIFUL、という綴りは、主人公の男ウスバル(ハビエル・バルデム)が娘に訊かれて教えたもの。「聞こえる通りだよ」と。
もちろん綴り(beautiful)としては誤っているわけだけれど、これこそが彼の遺すことができたものなのだとわかる。

短い時間の中で彼がなんとか遺そうとするもの…安心できる家庭だったりお金だったりは、ことごとく駄目になってしまう。
彼自身決して万人から賞賛されるような人生ではないにしても、誠実に「ものごとを良くしようと」取り組むのだけれど、現実の結果は彼の想いや境遇とは無関係に負の連鎖へと引き寄せられてゆく。

その下地には移民や貧困の問題が描かれ、ウスバルの病状の進行とリンクしながら全編に暗く重く粘り着くような影を落としている(天井の昏いシミなどはそれが視覚化されたものだろう)。夕暮れから夜にかけての柔らかい光に佇むバルセロナの風景との対比が遣る瀬無く、後年の『レヴェナント』では人間個人の力や意志の及ばない、ただそこに在る大自然の姿に投影された「無常」の影が、既に今作において彼らを飲み込む都市に息づいているようにも思える。

そんな渦中にあっても、過去作にあたる『21g』と同様に、「受け継がれるもの」が強調されている。
家庭やお金といった外の誰からも見えるものを削ぎ落としていった先に、それでも残るウスバルと彼の家族だけに通じるもの。価値があるのかもわからないお守りや指輪、ちょっとした昔ばなし、それらをまとめる象徴としてのBIUTIFUL。

ウスバルの娘は、これからビューティフル、と聞くたびに父のことを思い出すだろう。それは決して幸せばかりの思い出とは言えないけれど、いつか彼女に子供ができたとき、きっと話して聞かせるだろう。

そこには余りにも細い一筋の、いや切れ切れの光があるのかもしれない。わたしたちの魂が遺し得るはかなさ。

イニャリトゥ監督が脚本のニコラス・ヒアコボーネと組んだ最初の作品で、ターニングポイントでもあると思う。
ここからの諸作はハリウッド的エンタメ度や撮影手法の冒険などで表面をさまざまコーティングしつつも、殆ど同じテーマ、「ある男の再起(への試み)」そして「父から子へ」を繰り返しているといえる。特に最新作『バルド』は、今作の直接的な変奏と言っても良いのではなかろうか(トーンは全く違うのだけれど)。