"主は言われた。「実に、あなたたちパリサイの人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。」"
『聖書 ルカによる福音書11章』より
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アメリカ映画界随一の鬼才、デヴィッド・リンチ監督が描くとある青年の物語『エレファント・マン』(1980)、4Kリストア版が上映されていたので3年ぶりくらいに2度目の鑑賞です!!
僕達は軽々しくも「人は見かけによらない」とよく言います。確かにそう。
例えば、めちゃめちゃ強面の屈強なラガーマンみたいな人が凄く丁寧に挨拶してくれたり、童顔のサラリーマンが些細なことでブチ切れてきたり、こちら側の予想を大きく裏切ることなんかは決して珍しいことではありません。皆さんも1度くらいは経験があるはず…。
ですが、本当にこれを享受できるか否かは、「言うは易し、行うは難し」というものです。
この作品が扱うエレファント・マンことジョゼフ・メリック(1862~1890)は、イギリスに実在した人物で、いわゆる奇形の病を患われた方です。写真なども検索すれば出てきますが、この映画の中での彼の再現度がいかに高いものかを見せつけられ、とても驚きました。それと同時に、本編での脚色されたストーリー以上の壮絶な人生を辿ったという事が想像出来てしまって、何だかすごく悲しくなりました。
「差別をなくそう!」というスローガンは、最近の学校ならどこでも見受けられる"流行りの"テーマです。障害のある方や、精神的なマイノリティの方への配慮というのは、長年の人権教育の甲斐あってか今になってようやく浸透し、社会的に結実しつつあります。
しかし、これは本質を履き違えているのではないのか?と、今作を観ていると考えさせられます。
「差別をなくす」ことは、現実問題として「差」がある以上、究極的には出来ません。(もちろん差別を肯定している訳では無いです)
私達が本当に目指すべきなのは、「差別の撤廃」ではなくて、「そこにある差の受容」の方にあるはずだと僕は思います。
この考え方について、差別者と被差別者が対等に理解し合うということこそが、真に皆が生きられる多様性に充ちた社会への基礎であって、「障害のある方は丁寧に扱おう」という姿勢は一見優しいように見えて、関わりたくない問題を自分から遠ざけているだけのように思えてきます。
それに気がついたからこそ、アンソニー・ホプキンス扮する作中の外科医「フレデリック・トリーブス」は自分が見世物小屋の興行師と本質は同じだと反省していたのだと思います。
もし、自分がエレファント・マンに直面したら、どうするでしょうか…?
色々な人が「今」を生きているこんな世の中かだからこそ、皆さんに見てもらいたい素晴らしい傑作でした…!!!