みかんぼうや

エレファント・マンのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

エレファント・マン(1980年製作の映画)
4.5
【最も醜いと言われた最も美しい心の持ち主の最も悲しくも美しい物語】

「マルホランド・ドライブ」や「イレイザー・ヘッド」など、数々の奇怪なる難解映画で知られる鬼才デヴィッド・リンチの初期作品にして、リンチの名を一気に轟かせた名作。その不気味ないでたちの主人公から本作もまた大変奇怪で独特な映画と思われがちだが、実はデヴィッド・リンチの作品の中でも、最も正攻法で分かりやすい、悲しくも美しい作品ではないだろうか。

確かに彼の外見は一般的な視点で見たら“醜い”のかもしれない。しかし、そのリンチ作品で最も醜いと言われるエレファントマンことジョン・メリックは、リンチ作品に出てくるあらゆる作品の登場人物の中で最も美しい心の持ち主だ。

ゴミ溜めのような環境で地下サーカスの見世物としての生活を強いられるジョンの登場シーンは、言葉を選ばずに言えば、まるで得体の知れない怪物が初めて人類の前に姿を現すかのそれだ。彼を初めて見る多くの人間が悲鳴をあげる。または、本作に登場するあくどい人間のように汚い好奇心を持つ。そして、我々視聴者もまた、その登場には恐怖を感じ衝撃を受けつつも、実は心の中で怖い物見たさ故の好奇心を持ってしまっているのが本音だろう。

しかし我々視聴者は、映画の進行の中で、ジョンと彼を支える周りの善良な人々とともに時を過ごしていく中で、ジョンのなんとも純粋で紳士的で優しく、そして親しみやすい彼の人間性を理解し、一人の人間としての魅力を感じ、いつしか彼の虜になっているのだ。そして、そんな彼への理解とともに、得体の知れない怪物と評してしまった自分を強く恥じることとなり、スクリーンに映し出される彼の姿に愛らしささえ感じ、彼を見世物として利用しようとする者、好奇心であざ笑う者たちへ強い怒りを抱くことになる・・・

本作は、人によって本当に多岐にわたる解釈ができる作品だと思う。障害や病気に対する差別という視点、外見に捉われ美しい人間性を見られない人間の偏見への怒り、ときっと様々な感想を持つだろう。そんな中、私が一番強く感じたことは、「人は全員に理解されなかったとしても、周りに良き理解者や支援者がいるだけで、生きていける」ということだった。

全ての差別や偏見をこの世から撲滅することは不可能で、この映画を観ながらも「果たして彼は、本当にこれまでの苦しみぬいた人生から解放されたのだろうか?」と思わず自問自答する場面が何度かあった。しかし、差別や偏見は無くならないとか、この先の人生が幸せかどうか、ということを考えるだけでは、その先が見えずあまりにも後ろ向きだ。だから私はこう考える。「この作品のように、仮に少数であったとしても、周りに自分のよき理解者や支援者がいて、そこに自らの視点をあてていくことで、自らの人生に幸福は見つけられるし人生を豊かにすることはできるのではないか」と。この考え方はあまりにも楽観的過ぎであろうか?それくらい、登場直後のジョンと作品後半のジョンは、他人に対する姿勢も、自らの人生に対する考え方も大きな変化を遂げている。

本作は実在する「エレファントマン」と呼ばれた人物を扱った作品であり、それ故に実際の彼の人生の結末も我々は知ることができる。一方、彼がその時に自分の人生をどう感じていたかは我々には分かりかねるが、少なくとも私は、無くならない、または潜在的に意識してしまう外見の偏見にただ悲観的になるだけではなく、そのようなプラスのメッセージを受け取りたいと思ったのだった。

リンチ作品=“難解で気味が悪い”というイメージが先行しがちだが、このようなストレートなヒューマンドラマもしっかり手掛けられる監督力があるからこそ、他の作品も“ただ奇抜で難解”では終わらない凄みがあるのでは、と感じる(それは、難解な演奏をするフリージャズ奏者が、実はジャズスタンダートをとても美しく奏でるかのように)。

「リンチ作品は苦手で、この作品もなんとなく気味悪そうだから・・・」と観るのを躊躇ってしまう方にも、彼の作品の中では非常に分かりやすい内容なので、ぜひ先入観無しに観て欲しい王道ヒューマンドラマです。
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