KEY

エレファント・マンのKEYのレビュー・感想・評価

エレファント・マン(1980年製作の映画)
3.7
デヴィッド・リンチ監督作品『イレイザーヘッド』に続く二作目。
前作に引き続き全編モノクロで、謎の奇形病の少年と医者との出会い、葛藤を描く。

主人公のエレファントマンことジョン・メリックは、ジョゼフ・メリックという名前で実在する。映画で原作の戯曲と大きく異なる点は物語の順番のみで、服装や舞台セットでリアルに再現している。しかし劇中、今作がノンフィクションであることには一切触れられない。それはジョンという名前の様に普遍的な物語にしたかった監督の意向だったのかもしれない。

冒頭の見世物小屋での医者フレデリック・トレヴェス(全く気づかなかったが、若かりし頃のアンソニーホプキンスが演じる。ホントに若い‼︎)とジョン・メリックとの出会いのシーンでは、一切ジョン・メリックの顔を映さない。
実際に対面するのはその後になるのだが、その時でさえエレファントマンことジョンの姿をはっきり見せてくれないのだ。
デヴィッド・リンチ監督の名前を知っている方なら、今作にも悪趣味、あるいは過激な演出を期待しただろう。それを否定する気は無い、寧ろ正しい反応だ。

〜見世物文化の闇〜

今年は「カナザワ映画祭in福岡 フ・ィ・ル・マ・ゲ・ド・ンIII」に初参加して聞いた康芳夫さんと平山夢明さんとの対談や、保毛尾田保毛男の炎上騒動で社会的弱者と娯楽について深く考えさせられる年だった。
今作には、ジョゼフ・メリックの人生として決定的に抜けている事実がある。
実はエレファントマンことジョゼフ・メリックは、自分から行商人(見世物小屋)になったのだ。また母親の死に関してもメタ的な描写のみで(同監督の持ち味でもあるが)、もしノンフィクション映画として扱われていたら不満が残っていただろう。
しかし上記した社会的弱者と娯楽との関係については、上手く描けているように思う。
その点で今作に登場するもう1人の主人公が、医者のフレデリック・トレヴェスである。
彼はジョンと出会ってからすぐに治療は困難だと判断する。しかし医療の研究へと役立てるべく、彼を持ち主のバイツから購入する。勿論その間、ジョンの意思は関係無い。
更に研究会で見世物にたり、貴族との面会で寄付金を募ったり、やっている事はほぼ見世物小屋と同じなのだ。
それに気付いたトレヴェスは「私はバイツと似ているのかもしれない…」と悩む。
ここで重要なのがジョンの意思である。ジョンが英語を話せることを知り、トレヴェスやその他の看護師はジョンの意思を尊重する様配慮していた。

物語の終盤、言葉を発して驚かれる印象的なシーンがある。普段当たり前のように使っている言葉こそが、自分と対等の生き物であることの判断基準なのだ。今思えばそれは『メッセージ』や『猿の惑星』など映画で幾度となく描かれてきていた。
近年、LGBTや障害者等を扱う映画が増えてきた。そこにまず役者として演じる勇気があるのにも関わらず、「感動ポルノ」などと言った社会的弱者を物として消費しているという声がある。
自分もこの意見に深く感動し、共感を覚えた。
しかし大袈裟な言い方だが、映画によって救われる命だってある。そのくらい影響力のある娯楽であることを理解した上で、実際に接すること、言葉を交わすことの意味を考えさせてくれる映画だった。

そしてそれを証明するかの様に物語の終盤でジョンは、初めて大好きな女優の舞台を観て感動し、自分の夢を叶えるべく、部屋に飾られた普通の少年を真似てベットで眠りにつくのだ。
KEY

KEY