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エレファント・マンのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

エレファント・マン(1980年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

「結構怖い映画」というプチ情報だけ頭に入れて、映画館へ。初めてのデヴィッド・リンチ監督作品の鑑賞。デヴィッド・リンチヴァージン貫通。デヴィッド・リンチ童貞卒業。お母さーん!お赤飯炊いてー!(お赤飯でお祝いするのは初潮ですね。)

デヴィッド・リンチ監督はハチャメチャにぶっ飛んでいる映画監督という勝手なイメージがあったが、本作はハチャメチャなんてことはなく、しっかりとした映画らしい映画であった。

本作、最初のハイライトはエレファント・マンことジョン・メリックの姿形が白日の元にさらされる瞬間であろう。スクリーンに目が釘付けになる人。恐怖のあまり目を背ける人。確定申告するの忘れていた!と映画どころじゃなくなっている人(僕は頑張って確定申告済ませました)。ドラスティックな感情達が劇場に渦巻く。
「肝心のエレファント・マンは一体どうなの?!」というと、まぁそれはもう恐ろしいルックス。不細工という形容詞を大幅にはみ出るその造形。妖怪人間ベム・ベラ・ベロが「こっちに来るな!化け物!」と石を投げつけるレベル。

エレファント・マンの見た目を自分なりに説明すると、頭にでっかいカボチャが不規則に3つ詰まっていて、口が半分ただれて、背中にでっかいこぶがびっしりある。そんな感じ。エイリアンよりも怖い。

外科医のアンソニー・ホプキンスがそんなエレファント・マンの身元を引き受ける(というか見世物屋から救う)。
当初は医学的興味(と憐れみ)からエレファント・マンに興味を持っていたアンソニー・ホプキンスは医学学会にエレファント・マンを特異な事例として晒し者にする。
彼が学会で説明するところによると、左腕と生殖器のみ正常で他はすべて異常が見られる、ということであった。ここで下世話センサーがコイサンマンの視力ばりに発達している自分は「生殖器が正常」というアンソニー・ホプキンスの報告を心のメモに刻み込んだ。

アンソニー・ホプキンスが勤務する病院にエレファント・マンを入院させることになる。その強烈なルックスで病院中をパニックにさせてはいけないとエレファント・マンは隔離病棟へ押し込められる。不気味な見た目、苦しむようなうめき声を毎秒漏らし、話し掛けても返事をしないエレファント・マン。何故こんな状態になってしまったのか?病気なのか?生まれつきか?知能は低いのか?大人しそうだが、乱暴ではないのか?何もかもが謎。

そんな不安な状況で、うら若き乙女看護士(エレファント・マンを見たことない)が1人でエレファント・マンに食事を運ぶことになる。病院院長が吐き捨てる。「襲われないといいが。」ここで、下世話センサーがアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの上腕二頭筋ばりに発達している自分はエレファント・マンの「生殖器が正常」という心のメモを思い出す。「そういうことか…こら大変なことになるで( ゚ε゚;)ゴクリ」と1人座席で身体を硬直させる(股間は硬直しません!失礼な!)。
で、結局エレファント・マンを初めて見た看護士の姉ちゃんはイギリスから渋谷まで聞こえそうな見事な絶叫悲鳴「ギィヤァアアアアー」を挙げ、運んだ食事を床にぶちまけ一目散に逃げる。「生殖器が正常」は思わせ振りだったのである!ややこしいっつーの!

そんな怪物くん、エレファント・マンもふとしたきっかけで社交界のトレンドになったり、と世間の流行がいかに馬鹿馬鹿しいかをスクリーンに映し出し、我々観客をクスリとさせる。あとは婦長さんが面白かったね。

この映画、たくさん驚いたのだが、1番驚いたのはエンディングクレジットに映し出された「本作は実話ベースです。」の字幕。唖然とした。目が点になり、口は半開き(カパッ)。呆気に取られたまま、劇場に明かりが灯り、オシャレカップルがうごめきがちで癪に触りがちなアップリンクを去った。

帰りの電車で早速ネット検索。「!」ジョン・メリック(実名はジョゼフ・メリックらしい)は実在の人物であった。画像検索してみると、映画に登場したまんまのカボチャ3つ頭がスマホ画面に表示された。一気に背筋が凍りついた。

エレファント・マンは姿こそ醜いが心の綺麗な若者で、慈善活動に熱心な舞台女優と友情を結んだり、アンソニー・ホプキンスが偽善に苦悩したり、興行師がクズだったりと映画的にシンプルな盛り上がりを見せて楽しめる(ちょっと長いと感じたけど)。

エレファント・マンがアンソニー・ホプキンスに問いかける。「僕の見た目は手術でどうにかできませんか?」アンソニー・ホプキンスの答えは「不可能だ。」21世紀に生きる自分は咄嗟にYES高須クリニックが頭に浮かぶ。高須先生やったらどうにかできるんやろか?こんなクソどうでもいいことばかり考えるせいで映画の本筋を見失う。

エレファント・マンは頭の形がいびつであるため、ベッドに寝転んで眠ることができない。いつも座るようにして眠る。ところが映画の最後では、敢えて寝転んで眠り、死んでしまう(器官の圧迫か何か?)。実際は事故死らしいが、映画的には敢えて寝転んでの方が、そら正しいだろう。ということで、この映画には「普通」に死ぬほど憧れるというメッセージがあると思う。
自分も姿形こそマット・デイモンとベン・アフレックのハイブリッドであるが、なかなかどうして浮き世の辛酸に涙を流す回数も少なくない。「どうして自分はみんなみたいにできないのだろう?」エレファント・マンはみんなみたいにやってやると、やってみせた。バリアフリーなんて概念も無い時代に人々の心をバリアフリーにしたジョン・メリック。さだめしグッドガイだろう。

YES !高須クリニック!
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