難しい。
このような作品は感想を文字・言葉として形にするのが非常に難しい。
まだこの作品を鑑賞していない人へ向けるとするならば、感動した。是非鑑賞して欲しい。
簡単に言えばマイノリティや差別を扱っている作品。
差別・公平とは。善・悪とは。
でも実はもっとシンプルなテーマなのかも…とも思える。
描いているのは人間の本質?
人間の欲とか行動パターンとか…
まだ、そこまでは自分の中で解釈しきれていないけど…
という訳なので、一応マイノリティや差別といった面で感想を述べることにする。
…と言ったものの、とにかく感想が難しい。
先程、感動した。と言ったが、
この作品で感動をしたとしても、それは凄く複雑な感情ということになる。
メリックの外見や境遇、それを絡めたストーリーに感動をすることは、すなわち好奇の目で見つめる彼ら(サーカスの客、野次馬、貴族たち{本作では悪者という立ち位置})と本質的には同じなのではないかと。
たまたま感動の種類が違っただけで、彼を見て恐怖、嫌悪、不愉快を感じた者たちと何ら変わりは無いのでは?
なぜ感動する必要があるのか。同情なのか、哀れみなのか。
じゃあどうすればいい。
手を差しのべればいいのか、それとも見過ごせばいいのか。醜いと言えばいいのか。
差し伸べた手すらも、差別・偽善だと言うのならば私たちは一体どうすれば…
一方、メリック自身はどうなのかというと、その差し伸べられた手で心が満たされていると言う。
僕は幸せだ、と。
その差し伸べられた手が、偽善だとしても、悪を含んでいたとしても、彼はそれに気づくことはない。
なぜなら今まで手を差し伸べてもらったことがないから。
あなたが差し出したその手が彼にとっては全て。
彼はそれを受け入れる。彼はそれにしがみつく。
となると、善やら悪やら、なにが差別なのやらを考えること自体が馬鹿馬鹿しいものであり、それこそ差別と呼ぶのかもしれない。(鶏とタマゴ理論のように永遠のサイクルになるけど…)
この作品を振り返ると、バイツもトリーブスもケンドルも院長も、彼らの差し伸べた手には何らかの理由があった。詳しくは描かれていないが、そう感じた。
しかし、同じサーカスの劇団員たち(メリックと同じように何らかのハンディキャップを持っている)がメリックの脱走を手伝ったシーン。
そのときの彼らが差し伸べた手だけは何も無かった。純粋。無垢。理由が読み取れなかった。
本当になんでもないシーンではあるが、その描写が私の中で非常にショッキングというか…
彼らの同じ目線に立つことはできても、同じ景色は観ることは絶対にできないのかもしれないと感じた。
p.s.
その他大勢と唯一同じ形をした彼の綺麗な左手が、私の目にはとても悲しく映った。
ちなみに本作は実話に基づいたお話で、ジョセフメリックの生涯を調べれば、ラストシーンの後にどうなったのかは察することができる。