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パンズ・ラビリンスの青ののレビュー・感想・評価

パンズ・ラビリンス(2006年製作の映画)
4.5

見ていない方はご注意を。






















●アーサー・コナン・ドイルは『シャーロック・ホームズ シリーズ』の作者として有名だが、1916年イギリスのコティングリー妖精騒動に関わったことでも知られている。
イギリスの田舎町に住む幼い姉妹が妖精の姿を写真に収め、その真偽にコナン・ドイルも巻き込まれた様相。
●最終的な顛末というと「捏造」である。
老年になった姉妹が1983年紙面にて、そうであったと告白したのだ。
しかし、姉妹は妖精を実際に見ており、それを信じて欲しいがために写真を捏造したとも述べている。
さらには、複数枚の妖精写真を捏造と告白したにもかかわらず、ある一枚だけは本物であると病床に着き亡くなる1988年まで言い続け、その一枚もどのように加工されたのか(当時の写真技術から)現在も謎のままだ。※1
●メディアに登場し世間体を捨ててまで全てを告白したにもかかわらず、その一枚だけを亡くなるまで貫いたのはやはり意味がある。

●ぼく個人的には「信じている」し、いつもの言い回しになるが「そのほうが楽しいに決まっている」のだ。




●今作は1944年頃の物語。
第二次世界大戦末期。
アメリカを中心とした連合軍がフランスのノルマンディーに上陸し、ナチスドイツは追い込まれ既に死に体の局面だった。
同時期スペインではナチスやイタリアのファシズム党の後押しを受けて台頭していたフランコ独裁政権が、連合軍の進行に誘発された反政府ゲリラ、レジスタンスの武装蜂起により、やはり劣勢を強いられていた。
※2

政権軍部は、レジスタンス掃討を目的にスペイン各地、特にゲリラが潜伏しやすい田舎町に基地を配し、各地でゲリラの摘発・処刑を繰り返していた。
ビダル大尉率いる掃討部隊も町の一角にある邸宅を拠点とすべく接収。
そこへ、二人の親娘が大尉の部下の車列と共に向かっていた。

●車中には母カルメンと娘オフェリアがいた。
カルメンはどうやら妊娠しているようだった。
途中、カルメンは体調を崩し車を停めさせる。
車外に出たオフェリアは山道の雰囲気にただならぬ気配を感じる。
そして朽ちかけていて不思議な石像を目にする。

このシーンどこかで見覚えがあるなと思ったが、これはどことなく『千と千尋の神隠し(2001年公開)』のオープニングに似ている。
千尋のように後部座席でふてくされているわけではないが、山道と朽ちかけた祠や石像という、これから始まる不思議事の予兆めいたカットに類似を感じる。
後ほどになるが、宮崎駿氏と今作の監督の関係も面白い。

●ビダル大尉は絵に描いたようなファシストでサディストである。
ヒトラーよろしく優生主義もかじっているやもしれない。
だが終盤になるにつれ、あまり大義を抱いた軍人でないことが明らかになる。
拠点にやってきたカルメンのお腹の子は自身の子ではあるが、その母親や連れ子のオフェリアに愛情はないようだ。
ビダル大尉の「わたしのために」とあるように、自身の子を子に対する愛情と言うより、分身を残したいというただの所有欲にかられている。
つまりは、大義もなく私利私欲の為に隊を率いるただの悪党だ。

●今作にはそんなビダル大尉や部隊による残酷なシーンがある。
おそらくレジスタンスではない、一般の村人を次々と処刑していく。
あるいは捉えたゲリラに対する拷問も日常的にあるようだ。

母カルメンもそんな大尉や軍の行為を分かっている様子ではあるが、大尉同様に大尉への愛情というより保証される豊かな生活を選び、村や村人への圧政を分かっているにも関わらず、それを選んだ道であると観念しているようだ。

仕立て屋(都市部で商売をするも裕福ではなかった)であった夫・父親を戦争で亡くした親娘が生活の為にファシズムを受け入れている。
ここまでなら同情できる背景でもあるが、ビダル大尉とその周辺取巻きと共に居ると言うことは、実は飢えて困窮する村人から(若いウサギですら撃って食料にせねばならぬほど)食料や物資を略奪している側でいて、オフェリアや母カルメンもその贅沢に預かる身。
レジスタンスからしてみれば親娘も同類と見なされても止む無しなのだ。

●メルセデスの子守唄。
今作の印象深いテーマ曲はメイドに姿を偽った女性レジスタンス、メルセデスが母の身を案じ悲しみに暮れるオフェリアを抱いて口ずさんだ曲だ。

誰しも感じたかもしれないが、メルセデスの方がオフェリアの母親っぽい。

母カルメンは無論オフェリアを愛していただろうが、豊かな生活の為にビダル大尉の前では揃っていい子でいなければならないと思っていたし、そうあってくれないオフェリアの空想癖に苛々もしていた。
これを(今の状況を)受け入れなさい「世の中は残酷なのよ」と。

メルセデスは早くからオフェリアの空想癖に理解を示していたし、その娘の境遇に第三者だからこその同情すらあった。
オフェリアの母は憎っくきファシストの殺人鬼と再婚し、その子供を身ごもっている。
メルセデスの立場から、村人から搾取略奪をする体制側ではあるが、幼いオフェリアに罪は無い。
オフェリアはメルセデスにとって、理不尽な戦争や内戦の犠牲者でありその象徴。
知らずとオフェリアをできるだけ守ってやろうとしたのは必然だし、どこからどう見てもオフェリアはひとりぼっちで、そのどちらの苦難からも守ってやりたいと思っていたのだ。

●「昔々嘘や苦痛の無い世界 そこに住まうお姫様は人間の地上世界を夢見ていた
ある日 地上世界に踏み入れた しかし 記憶を無くしてしまった
やがて死んでしまった
父王は信じていた
姫が転生しいつか帰ってくると」

グリーンのワンピースにエナメルの靴。そして白いリボン。
ブルーだったらディズニーのアリスのそれだ。
大木の洞穴に腰を屈めて入って行く様や大蛙と対面は「となりのトトロ」だ。
しかしディズニーやかつてのジブリのようにハッピーエンドではないし、オープニング数秒後オフェリアが倒れたまま鼻血を流すシーンでそれは分かりきっていた。
さらには「お姫様は死んでしまった」と伝説を語らうが、同時に「転生する」とも言ってしまっている。

●僕らは今作を見ながら史実に基づいた戦争というドラマに、オフェリアの幻想が滑り込んだと思いがちだ。
しかし彼女にとって戦争こそが悪夢であり、牧神やフェアリーの迷宮。3つの謎解きこそがオフェリアにはリアルなのだ。


居場所の無い、怖くて怖くて、寂しくてたまらないこの世界。
牧神やフェアリーに出会った時の、彼女の笑みや必死な姿が全てである。


オフェリアは幸せになりました。
間違いなく。
戦時という悪夢から解放されたという意味ではなく、やっと彼女にとっての現実世界に帰れたのです。

●さて、僕らが言うところの現実ではどうか?
ビダルはメルセデス、レジスタンスに射殺され、赤ん坊に自身の名を付けさせよと軍人として最後の命令を下しますが、無論それは拒否されます。
メルセデスは動かなくなったオフェリアに駆け寄り泣き崩れますが、なぜかオフェリアの表情は穏やかである。
もう、彼女は幸せになったのですから、本来は喜ぶべきかもしれない。

本編の7割くらいがファンタジーとはかけ離れた戦時の暴力と残酷シーンだ。
それはやはり、それが悪夢以外のなにものではないという前振り。
つまりは、彼女が悪夢から如何にして現実に戻ったのか?
と言う物語である。

●コティングリー騒動の少女達は、もしかしたらオフェリアのように在るべき世界に誘われたのかもしれない。
ただ、僕らのこの世界こそがリアルであると信じていて、もう一歩が踏み出せなかったのかも。
でも、少女達以外にもその世界に行った人は多そうだ。
世界中にある妖精の物語を全て嘘デタラメだなんて誰が証明できようか?
僕は信じています。


※1 この騒動を映画化した『フェアリーテイル』という作品がある。

※2 監督のテーマなのか、今作の前作にあたる『デビルズ・バックボーン』もファシストのフランコ政権下の物語。

●その他

牧神=パン
ピーターパン

El Laberinto Del Fauno
スペイン語で直訳するならば
「ファウヌスの迷路」
ファウヌスとはギリシア神話のパンにあたるようです。

●今作と同じフランコ独裁政権下を舞台にした『ミツバチのささやき』という作品がある。
さらにはこの『ミツバチのささやき』を見た宮崎駿氏はそれをエッセンスとして『となりのトトロ』を製作したという。
さらにさらに、デルトロ氏の口から「パンズ・ラビリンスは宮崎駿作品から多分に影響を受けている」とインタビューで答えている。