あとくされ

ゴッホのあとくされのレビュー・感想・評価

ゴッホ(1990年製作の映画)
3.7
兄ヴィンセントと弟テオとの交流に重点を置いた構成の、つまり2人のゴッホに焦点を当てた映画。

ゴッホの手紙についてテオが婚約者と揉めるくだりがある。兄からの手紙だ。じっさいテオが放蕩な暮らしを送る兄からの手紙をきちんと保管してあったのは驚きだ。兄弟間での手紙のやりとりはいつも穏やかであったわけじゃないのだから。絵にしても、だ。……これはヴィンセントが死んでからテオが発狂するまでの展開を思うと、ヴィンセントがテオのなり損ないだったように、テオもまたヴィンセントのなり損ないだったのではなかろうか。
残念なことに、ヴィンセントが手紙のなかで何度も弟に互いの素晴らしい思い出として語る散歩は映像化されていない。ヴィンセントとテオとの関係が、この映画では並行して映される。伝記的事実をある程度知ったうえで、それを肉付けするつもりの映像化として見ればいいか。兄弟の関係を描くことに重点が置かれていて、ファン・ゴッホ家の内情はあまり触れられていないなど、ヴィンセントの家に対するコンプレックスは見受けられない。

この映画では当時定説だったであろうヴィンセントの自殺説が採用されている。しかし、これはあまり明確に描いてはおらず、離れて映し、ヴィンセントの自殺の意思をぼかしているようさえ見える。
2020年現在では自殺説は覆されていて、近所の悪ガキがピストルを撃ったのが死因とされる。私もそう思ってる。理由はヴィンセントがイエスであらんとすることに並々ならぬ関心があり、自己流とも言える独特な信仰姿勢のなかにもこの世に生を享けたことに対する使命感を持っていたから。彼の残した手紙からは、自分を虐待するかのような境遇に身を置く間接的な自傷行為こそあれ、決して直接的に自殺しようと考える人物ではなかったことがわかるから。
この映画で描かれるヴィンセントの自殺場面は奇妙だ。死因となった銃創を踏まえたからこそこあのような映し方をしたのだろうが。というのも、ヴィンセントの銃創は自分で撃った場合には不自然なった構えになるから。そうしたつじつまを合わせるためにこの映画での映し方を採用したのだろうが、やはり謎行動に変わりない。

(……と、書いてて思ったけど、テオが結婚した相手が娼婦だったように描かれてなかったか、これ? 伝記を読んだ記憶を掘り返すと娼婦とは破局したんじゃなかったっけ?そんで田舎の娘に言い寄って2度3度の告白の末にくっつくことになったんじゃなかったっけ?…俺が見落としてるのかな?……伝記を読んでから映像を見るといろいろ気にしちゃってダメね(笑))
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