エディ

肉体の悪魔のエディのレビュー・感想・評価

肉体の悪魔(1947年製作の映画)
1.8
ジェラールフィリップの出世作。この映画で彼の人気が不動のものになった記念碑的な作品だが、まるでジャリタレのために作られた映画のように強引で不自然な設定が腹立たしい。悲劇的な純愛ではなく、ハンサムで若いだけのバカ男と結婚前の火遊びをするバカ女の純愛ごっこという名の火遊びに成り下がってしまっている。
舞台は第二次大戦終盤のパリ。婚約者が出征中のマルトは看護婦として病院を手伝っていたが、あるとき農作業をしていた学生フランソワから誘われる。非常に強引なフランソワに自分は婚約中と伝えても、フランソワはくどきを止めず、ついに二人は恋に落ちるものの。。。

ジェラールフィリップ演じるフランソワの設定が非常にイラつく。みんな戦争に必死になっているのに、学校にも行かずに一人、女の尻を追い回す。親の収集品を勝手に売って金を工面したデートでは、ワインのブショネについてケチをつけたり最初のデートで結婚を申し込み、食事の後で一緒に住む家の家具を選ぶとか不自然なくらいに強引なので、引くを通り越して不愉快になった。
終始にやついた表情で強引に誘うフランソワの姿は純愛を貫くそれではなく、女漁りをするヤンキーにしか見えない。実際、自分の親や恋人の親に対する口の聞き方がひどいし、マルトの自宅前で窓越しに彼女を一晩中見張っているなど素行も薄気味悪い。
こんな主人公に対しマルトがどうするかというと恋におぼれたまま。最初が強引なので、運命的な出会いによる純愛には思えず、親の金で遊んでいる不良学生に言い寄られ火遊び的な不倫をするバカ女にしか見えない。
この関係は婚約者と結婚しても続きとうとう妊娠してしまうが、終戦後に夫が戻ってきたら二人の関係は終るということを二人とも気付きながらずるずると関係を続けているのだ。
芸術的な価値よりもジェラールフィリップを売り込むために作られた映画なのだろうが、彼演じるフランソワは自分に都合が悪くなると怒鳴り声をあげ、悲壮感漂うシーンでも常ににやけている軽薄で強引な遊び人として描かれているので、自分は全く共感できなかった。それどころか不快でしょうがなかった。
なんでこんな映画が流行ったのだろう?少なくとも、現代だったら、こんな主人公は絶対に好かれないと思う。
エディ

エディ