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墨攻のkuuのレビュー・感想・評価

墨攻(2006年製作の映画)
3.7
『墨攻』
原題 A Battle of Wits.
製作年 2006年。上映時間 133分。
92年~96年まで、小学館“ビッグコミック”に連載していた同名人気漫画を日中韓+香港の合同プロジェクトで映画化。
原作の漫画は嵌まりました。
2000年以上も前の中国に存在した、自ら攻撃を仕掛けることはなく、守るための戦闘『非攻』を掲げた戦闘集団“墨家”。
そのメンバーの1人である革離(かくり)の活躍を描く。
監督・脚本は、ジェイコブ・チャン。
主演のアンディ・ラウ他、韓国を代表する名優アン・ソンギら中韓キャストが共演。
改めて鑑賞。

紀元前370年頃、巷淹中(アン・ソンギ)率いる趙の10万の大軍が住民わずか4千人の梁城に攻め入ろうとしていた。
梁王(ワン・チーウェン)は墨家に援軍を頼んでいたが時間切れで、降伏しようとした時に墨家の革離(アンディ・ラウ)という男がたった1人で城に到着する。
彼は1本の矢で趙軍の先遣隊を退けてしまい。。。

紀元前500年頃から、農業生産力は大きく増大させる鉄器が広がった。
そのお陰で、農業生産力は大きく増大し、考える時間が(暇な時間)できた世界。
(日本は入ってません残念)
鉄は銅より伝播速度が速かった。
まるでスマホの普及のように便利この上なかったんやろな。
ギリシャ、ペルシャ、インド、中国の世界四大文明の人たち。
都市化の広がりもあってか、哲学の花を咲かせた。
ヨーロッパでは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといったギリシャの哲学者が生き、ストア派、シニシズム、プラトン主義、懐疑論といった学派が栄えた。
中東では、ペルシャを中心に、エジプトやユダヤなどの征服地では、ゾロアスター教やユダヤ教などの一神教が栄え、
インドでは、仏教、ジャイナ教、アジビカ教、ヴェーダ哲学など、最も高度で合理的な精神性・心理性の体系が発展した。
今作品の舞台、中国では、儒教、道教、法治主義、そして本作のテーマであるモヒズム(墨教)など、百家争鳴の哲学が栄えた。
文化至上主義者の多くは、国ごとの違いを誇張したがるけど、これらの哲学はすべて基本的に同じ人間の状態を扱い、多くの共通点がある。
たとえば、ストア派と仏教はともに人生に対処し、心を高めるための合理的なシステムとして意図されてるし、人間が外界に対して持つ力は限られてるし、自分を変える方がより合理的だと受け入れることを軸に、その知恵が展開されてる。
墨教は、中国が人類理解に与えた偉大な貢献の一つやけど、中国の初代皇帝が非公認のイデオロギー(秦の国は法治主義)の書物を焚書した(本をすべて焼いた)ため弾圧され、さらにその後の漢王朝が儒教を奨励したため、忘れ去られ、中国、韓国、ベトナムで最も影響力のあるイデオロギーとして残った。
現存する作品は、道教の聖典に吸収され、モヒズムを研究しようとしても、創始者に遡る経験豊かな系譜を持つ『生きた』伝統はほぼ無いに等しい。
しかし、墨教は仏教やキリスト教と同じように、他のすべての人間に対する慈悲を信じる普遍的な哲学であったことが分かっている。
創始者の墨翟は、戦争になりそうな国同士の和平交渉や、攻撃に直面している国の要塞を強化し、暴力を思いとどまらせたと云われている。
今作品では、紀元前450年頃の戦国時代、集落の防衛を任された、墨教徒が主人公です。
彼の行動には墨子思想の要素が見られ、原作の漫画や、哲学歴史に興味ある人には面白い映画になっていると思います。
また、アクション映画やドラマとしても悪くない出来で個人的には面白い作品です。

今作品の題名を徒然に。
タイトルの『墨攻』は、『墨守』と云う慣用句からきたと思われる。
ぼく‐しゅ【墨守】[名](スル)《中国で、思想家の墨子が、宋の城を楚(そ)の攻撃から九度にわたって守ったという『墨子』公輸の故事から》自己の習慣や主張などを、かたく守って変えないこと。
『旧説を墨守する』などとある。
あまり使わないが、使えないこともない言葉が今作品とつながりがある。
映画『墨攻』革離を演じるアンディ・ラウは、ただただ、カッコええん。
主人公である革離である、この話は墨子の教えを忠実に墨守して描かれてる。
ザックリと考えを書くと、
(無知故に誤りが多々あるとは思いますが🙇)
・『兼愛』 
自他ともに愛せと教える。
相手を愛すときは、自分を愛すんのと同じようにせよ、ちゅうこと意外に難しい。
・『非攻』
侵略戦争を否定する超積極的平和主義。
すべての攻撃を否定し、攻撃を受けた街は墨子教団が防衛するちゅうこと。
すこし、今戦闘中のあの国の行動に似てなくはない。
・『節用』
節約を唱える。
支配層の華美を廃し、資源の浪費を避け、実用品の生産を増やし、民に行きわたらせるっこと。
日本の政治家たちよこれを見よ。
・『節葬』
支配者層が富を地中に埋め、資源を浪費することを戒める。
苦労して生産した富は生きているものに使うべきちゅうこと。
資本家階級よプロレタリアの泪を知れ。
・『尚賢』
能力主義を唱える。
執政者は賢者を尊び、有能なものを任用すっこと。
無能な日本の政治家には無理。
・『尚同』
主義主張が異なっているから、互いに争うため、統治者に従えと教えっこと。
・『天志』
天帝への信仰を勧める。
天の意思に逆らう(支配)者には天譴があるちゅうこと。
・『明鬼』
天志が支配者層への天譴を説くものであるのに対し、明鬼は個人的犯罪には必ず罰が下るちゅう因果応報説を説くこと。
・『非楽』
贅沢としての音楽を否定する。
支配者層は贅沢な音楽を楽しむのを止め、生産的なことに労働力を割り振れちゅうこと。
・『非命』宿命を否定する。
天から与えられる使命はあっても天に定められた運命はない。
勤勉により状況は常に変えられるちゅうこと。(長いので申し訳ありません🙇)
ちゅう教えを論より証拠的に受け継いでる弟子を描いてると、深く感じる作品です。
墨子は、中国哲学の中でも小生の比較的好きな思想家です。
孔子も墨子の影響を受け継いでると思われるが、その後、孔子の教えを国教とした秦の始皇帝は墨教は迫害を受けるのは悲しい定め。
漫画『キングダム』の嬴政(えいせい漂((ひょう)))が、そんなことしたなんて🥺。
でも、この墨子から生まれた言葉『墨守』を考えてみると、ウクライナを想う。
あくまでもメディアで観る限り、ウクライナ国はロシアの攻撃から国を墨守してると感じる。
ロシア、ウクライナどちらが良い悪いのは置いといて、また、ゼレンスキー大統領はユダヤ教徒だとは思うし、ウクライナは色んな宗教が混じり合う国とは云え、国そのものの動きは墨子の教えと共通するとこを多々感じる。
故にそんな折やからこそ、今作品を観るのも無駄ではないかなぁと思います。
kuu

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