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この森で、天使はバスを降りたのodyssのレビュー・感想・評価

4.0
【母と子(だけ)の映画】

地方都市に住んでいるのでロードショウでは来ず、しばらくしてからDVDで鑑賞。
なかなか良い作品でした。

舞台となる町の名が聖書に由来していることや、その町名が暗示するところは、少し調べれば分かりますので、私はちょっと違った側面から感じたところを書いてみようと思います。

つまり、登場する男女たちのことです。この映画、女性映画と言っていいほど女たちの姿が丹念に描かれているのですね。老境にさしかかった食堂経営者であるハナ、刑務所から出てきて自分の生き方を模索している若い娘であるヒロインのパーシー、ハナの甥の妻でありパーシーの理解者になるシェルビー。

それに比べると男たちは影が薄い。ハナの甥のネイハムは悪役だし、ハナの息子のジョニー・B(とパーシーは呼びますが)はヴェトナム戦争従軍で心の傷を負って森で暮らしていますし、パーシーに求愛するジョーも控え目な人物で、特にハンサムでもないしすごい才能の主だというわけでもありません。

パーシーはジョニー・Bに興味を持ち、彼の森の住処も突きとめるのですが、彼女があらぬ嫌疑を掛けられて森に入り込んでも、ジョニー・Bは彼女を救うことはできません。彼は父が第二次世界大戦に従軍した英雄であり、彼自身もヴェトナム戦争に志願するのですが、時代は変わり、かつてなら英雄として凱旋できたでしょうに、人を避けて森に一人住み、母親から食物を与えられ、パーシーから無償の共感を寄せられる無力な存在でしかないのです。

ジョーもパーシーに求愛しながら報われることがありません。町の保安官も、押しの強いタイプではなく、むしろ控え目に住民たちの要望などに対処しています。

そんななか、事件が起こりパーシーは死ぬのですが、彼女が犠牲になるのは彼女が子供を生めない体だったからではないでしょうか。つまり、この映画は「母と子」を描く映画なのであって、それ以外のものは排除されていると思われるのです。

すなわち、ハナのもとには最後には息子ジョニー・Bが戻ってきますし、シェルビーは子供二人をかかえて夫と別れて(と最後で暗示されているように見えました)生きます。また、食堂の後継者として選ばれるのは幼い子供を抱えた若い(多分)未婚の母です。

それに対してパーシーは子供が生めない体であり、こうした人たちの中にはついに入れなかった。子供が生めなくても、ジョーの愛を受け入れてそれなりの人生を送ることもあり得ると思うのですが、この映画はそうした選択を許しません。

また、この映画は「母と子」を描きはしても、「父と子」は排除します。なぜなら、食堂を受け継ぎたいという最初の応募者は妻に逃げられて子供を抱えた父親からなされていますが、ハナたちはその応募を切り捨ててしまうからです。彼女たちは「母と子」は選んでも、「父と子」は選ばないのです。

この映画にはアメリカ的な「強く正しい父」、「ヒーローとしての男」は出てきません。男として登場するのは一人の悪役、控え目な求愛者や保安官、そしてパーシーの話の中で回想される悪辣な父親だけです。この町に思いもかけない森林資源があることを見いだす科学者にしても、1シーンで顔を出すだけで、人間性などは描かれていません。

舞台が誰も知らないような田舎町であることと合わせ、この映画はひっそりと静かに子供を育てていく母のありようを前面に押し出していると見ることができるのではないでしょうか。
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