回想シーンでご飯3杯いける

ボーイズ’ン・ザ・フッドの回想シーンでご飯3杯いけるのレビュー・感想・評価

ボーイズ’ン・ザ・フッド(1991年製作の映画)
3.5
「Hood」は、日本人にとって理解し辛い言葉だ。もちろんコートの「フード」を指す場合もあるけど、性質、心、集団、みたいな意味もあって、頭に別の単語がくっつく事でニュアンスが微妙に変わる。本作のタイトルでは別の単語と繋げずに、敢えて色んな意味合いを連想させているのだろう。作品を見た印象ではFatherhood=父性が最もしっくりきて、続いてMotherhood=母性、Neighborhood=隣人達、辺りを指しているのだろうと感じた。

本作は、LAの治安が悪い街で生まれた黒人の少年が、父親が持つ知性的な教訓に従って育っていく様子と、それを阻む近隣の悪友達との関係の中での葛藤を描いている。

本作の2年前に製作されたスパイク・リーの「ドゥ・ザ・ライト・シング」がNYを舞台にしていたのに対して、こっちはファミリー層が住む住宅地という事で、家族関係がとても重要なものとして描かれているのが特徴。先に書いた父親も紳士的で、前半は穏やかな印象さえ感じるのだが、そんな家庭にも死と隣り合わせの緊張感が忍び寄ってくる。

監督は、本作をきっかけに、アフリカ系アメリカ人で、アカデミー賞監督賞に初めてノミネートされたジョン・シングルトン。まだまだ黒人の主張が取り沙汰される機会が少なかった'90年代初頭の記念碑的作品であり、今も尚、「ドゥ・ザ・ライト・シング」と並ぶバイブルとして語り継がれているのも頷ける。