atsuki

不良少女モニカのatsukiのレビュー・感想・評価

不良少女モニカ(1952年製作の映画)
4.3
不良少女のモニカと怠慢で純情なハリーは正反対のお互いに惹かれ合い、駆け落ちをする。家族や仕事、そして社会からドロップアウトし、ボートを住処とする2人だけの島暮らし生活を始める。

手触りはヌーヴェルヴァーグへ影響を与え、匂いはアメリカンニューシネマを感じさせ、ベルイマンが世界的に知られる様になった一作として前評判通りの輝かしさがありながらも、両者にとって「妊娠」という大人の階段へと上がる出来事から崩れ落ちて行く2人だけの世界の脆さは痛々しい。

はたや現実的に生きる(様になる)ハリーといつまでも変わらない、今作的に言えば不良少女が不良のまま大人になったモニカとの対立は物悲しさまである。

モニカの言いたい事、やりたい事は分かり得るハリーだが、そうするには現実を見なければならない。逆に現実を見ることを自分勝手とし、不良というよりはワガママなモニカ。この噛み合わなさ、根本的に「現実を見る」という行為自体を理解していない、理解できない、いや理解させられないモニカに対するハリーの憤りは身体に出てしまうのだ。

それは元々社会からドロップアウトし、自分達だけの世界に逃げ込んだ根源的な理由でもある。つまりは大人になったハリーと大人になれなかったモニカの湿度の違う冷たさを描き切る青春映画であるのだ。

ラストの鏡から見つめるハリーの目線はまるで観客を睨む様でもあり、そこに漂う哀愁からはある種ファムファタール的な感触も受ける。はたやこれは「大人は判ってくれない」と思うなら「勝手にしやがれ」という突き放しでもあり、現実的に大人にならなければならない虚しさと大人にならない事は破滅へ進むという苦しさは救いようがない。

自然の美しさと遣い方は言わずもがな。
atsuki

atsuki