純

ブエノスアイレスの純のレビュー・感想・評価

ブエノスアイレス(1997年製作の映画)
3.7
「お前と見に行きたくてな」そう言ってくれたあのひとを思い浮かべながら、たったひとりで眺めるイグアスの滝はどこまでも高くて、轟音を響かせていて、それでいてとっても寂しかった。どんなに素晴らしい景色でも、それがとっておきの場所になるためには大事な何かが欠けていて、その瞬間的な寂しさで、ひとは死んでしまうことだってあるのだろうと思った。

お前なんか死んでしまえと、ふたりはきっと何度もお互いを罵った。癇癪持ちで短気で、一緒にいる時間すべてが荒々しい。荒んだ空気。野蛮な言葉。愛情が裏返しとなってぶつかり合う暴力。悲しいくらいに不器用なふたりは、そんな形でしか相手に触れられないほどに子どもだったから。いつだって傷つけ合うことでお互いの愛を確かめてきたから、今更守ってほしいなんて言えなくなってしまったんだね。ファイはウィンのためならいつだって駆けつけるし、ウィンが一番に顔をうずめたいのはいつだってファイの胸なのに、痛みを仲介しないと、ふたりは抱き合う権利を持てない。そうやって身を削って、ぼろぼろになって、離れて、少しでも回復すればまた、その痛みに自分から近づいてしまう。その痛みがなければ、ふたりは寂しくて死んでしまうから。

俺は狭くても構わないぞ、なんてね。「お前のそばにいたい」って言えないのは、自分のほうが相手に惚れてるってバレてしまうのが怖いと思うせいだ。惚れたほうが負けなんて、そんなの誰が言ったんだ。恋は勝ち負けを競うものじゃないんだよ。馬鹿らしいくらい、皆に笑われるくらいにまっすぐ純粋に求めあっていいのに、それが一番難しいよね。本当は高鳴る鼓動が自分のが相手のかわからなくなるくらいぐちゃぐちゃに抱き合ってひとつになってしまいたいんだろうなって、でもふたりはこのままじゃ駄目になってしまうんだろうなって、きっと誰もが気づいていた。

痛いほど懐かしい光の描写が胸を締め付ける。無性に焦るような虚しいような、でも手放したくないようなあの橙色を、ファイはどこまで連れて行くのかな。チャンが持っていったファイの悲しみは、ちゃんとどこかに辿り着けたかな。手放すために録音した記念の声は、一体何色をしていたんだろう。

夜のシーンの気怠い青さに酔いそうになる。ふたりの孤独と、ファイと父親の関係と、嘘をつけない電話越しの声。「やり直したい 」。皆そうだ。絶対に後悔した過去がある。やり直せたらいいのにね。でも、やり直そうって言葉の魔力は決して良いものだけを連れてはこないから、それが正しくても間違っていても、やり直すことできっと私たちはまた別の何かを失っていく。私たちが出会おうと別れようと夜はまたやって来て、ネオンが嘘を帯びた熱を光らせる。走る光。止まらない時間。戻らない距離。そうして轟々と鳴り続ける、イグアスの滝。
純