3部構成。この題名で、この内容。第2部、ギャラリー内でのイタ可笑しい やり取りをみているうちに、あの有名な言葉が否応なく、わたしの頭のなかに鎮座する。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
あれ?誰の言葉だっけ?
そうだ、チャップリンだ!
この名言は、こう言い換えてもいい。
「人生は当人からすると悲劇だが、他者からみれば喜劇だ。」
この悲劇、いつか当人にとっても、喜劇にかわるといい。
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とくに第3部がエグーショナルwww(えぐい)。
幻肢痛。ファントムペイン。失った右腕。脳がないものをあると錯覚する。医師(志賀廣太郎さ~ん💧)が、イラストを使って、まこと丁寧にその傷みの在処を解説してくれて、大変よく理解ができました。
とても観易い、台詞台詞の応酬劇。でも、観やすいと思って、用心を怠ることなかれ。いきなり、ザラついてくる。不意に、痛いところを突いてくる。見えない暴力。心のなかの暴力。失った右手が、貴方の頬を叩く。失った右手が、わたし自身を苦しめる。爪をたてるように。
でも、錯覚や思い込みは人を苦しめる一方で、錯覚や思い込みがあるからこそ、どうにかなんとか日常を送っていけるのかもしれない。そんなことも思う。幕が降りる瞬間が、すごく好き。あの終わり方に対して、ありがとうを言いたい。
そして私は、この監督作品を観ると、〝淵とほとり〟について考えてしまう。
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メモ①
ほとり:海や川・池などの水際
淵:底が深く水がよどんでいる所/容易に抜け出られない苦しい境遇
メモ②
『ほとりの朔子』で出てきた、かき氷のシロップの味は実は全部同じ。でも、見た目に左右され脳がこれは○○味だと判断するらしい といった話に通じるエピソード。
メモ③
「一見きわめて似ているものどうしをつなぐとき、まぼろしの橋はもっとも見事な嘘をつく。もっとも小さな裂け目こそ、実はもっとも埋めにくい裂け目だからだ。」←これは、ニーチェの言葉なんですね。