ガンビー教授

レディ・イン・ザ・ウォーターのガンビー教授のレビュー・感想・評価

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問題作であり、シャマランを理解するためには最重要作と言うべきだろう。

シャマラン映画に対する、辻褄が良すぎる(ご都合主義的)とか、逆にここがおかしい、みたいな批判も、全てこの作品のメタ構造の前に意味をなさなくなってしまう。物語を俯瞰する視点そのものが、物語に組み込まれてしまう、という異様な構造をしているからだ。

トラジコメディといったジャンルで、ものすごく真面目にある種の信念を貫徹しようとする人間が出て来ることがある。その人物は至って真面目に自分のやるべきことをやるが、他人の目にそれは狂気すれすれの振る舞いとして映る。カメラは中途半端に引いた大きさでキャラクターを捉え、画面には意地悪な空気が流れる。
シャマランの映画では、この「信念の人」というのはシャマラン本人であり、彼の「狂気すれすれの振る舞い」とは彼の映画そのものである。そして「中途半端に引くカメラ」とは、シャマランの、お世辞にも滅茶苦茶上手いと言えるわけではない映画の技量である。彼が「滅茶苦茶上手い人」であれば、また話も変わってくるのだが、しかしそれはもはやシャマランではない。そんな仮定の話をしたところでしょうがない。

理解できずに鼻で笑う人がいてもそれは仕方ない。だが一方で、これを笑えない人……作中の表現では『料理本』に影響を受けた少年が、いわゆるシャマラニストになっていく。

僕としては、この映画を傑作というつもりはないが、シャマラン映画という特殊な基準から語れば、まさしく10年に1本の作品と言えるかもしれない(?)。こんなことを書いてしまうのも、僕が半ば狂気に取り込まれている証拠だと思う。
ガンビー教授

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