KAJI77

暗殺の森のKAJI77のレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
3.9
大学3回生になり、幸福について考えることがとても増えた。
自分が幸福な瞬間って、例えば好きな曲を聴いている間とか、或いは良い映画に巡り会えた時とか、日常においては程度の差こそあれ、それなりにある。
でも、自分が大人にならなければならない時期だからか、そういう身の回りで手に入る幸福よりも、より形式的な幸福について計画を立てろと不可視のムードに急き立てられている気がして、最近はなんだか妙に落ち着かない。

より具体的に言えば、家族のことや、結婚のこと、仕事のことなど、こなさなければならない大きめのタスクのことだ。
一人分の幸福は、今の社会では昔よりも定量的なものなのではないかと感じている。
誰かがなんとなく決めたそういう「一人前」に、恐らく御多分に洩れず僕も同調していくべきなのだ。

もちろん、そうやってレールに沿って次の駅を目指すことは素晴らしいことだと思うし、それがどういったことなのかは理解しているつもりだ。
家庭を設けて、子供と暮らして、車に乗って…

だけど、なんというか、自分がその線路に飛び出す事については全く想像力が追いつかない。
夕方。やる気のない飛行機雲の映る窓の外を眺め、夜の奥に過ぎ去る電車を見ていると、なんだかそこに入っている人の群れは別の種類の生き物であるかのように感じられるし、カーテンを閉めるとこの世界に僕以外の何者も存在しない気がしてくる。
最近では部屋に飾ったパルプ•フィクションのポスターのユマ•サーマンですら僕に一瞥もくれてはいない。

とっても好きな思い出の写真、美しい風景を織りなすパレットの中に、僕が映らない。
きっと幸福の形は、僕にとっては僕以外のもので構成されている。
そのイメージの中に自分が入り込めばそれはサラサラと砂のように吹き去って、ついには二度と戻らない気がする。
優しい風は遠くで吹いていて、僕がそこにいく頃には別の場所に花を咲かせにいってしまう。
なんだか近頃そんなふうに思えてきた。

知らない街で知らない誰かが知らない誰かと手を繋いで歩いて帰っていく。僕が彼らを全く知らないということこそが、幸福のエッセンスなのだ。

もしかすると、どんな心の動きだって、自分には似合わないのではないか?と鏡に向かって問いかける。
喜んだり、悲しんだり、恋したり、信じたり。感動を自分のもとに飼い慣らすのはとっても難しい事だとようやく分かってきた。

でもだからこそ、映画を観ることはその練習になるはずだ。映画だけではない。本でも良いし、絵画でも彫刻でも良い。旅に出ることもその一つかもしれない。
自分では空っぽだと思い込んでいる胸の奥のガラス瓶に、なるだけ綺麗な景色を集めて腐らせないように生きていく。
そういう一つ一つの絵の中に、たとえ自分がいなくても、それはそれで良いのかもしれない。

幸福とは、僕が生まれるだいぶ前からそういうものだったのだろう。
KAJI77

KAJI77