優しいアロエ

暗殺の森の優しいアロエのレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
4.8
〈傷心の男をとりまく甘い幻想と崩壊の予兆〉

 虚無的で冷酷な空気の張りつめた世界に、針穴を開けるようにして「歪さ」を混入し、現実を悪夢へと錯覚させるベルトルッチの映画魔術。

 この「歪さ」とは、サンドレッリの奇妙な笑い声であり、文字通り“斜に構えた”カットであり、滑稽な暴力であり、主人公を取り囲む群衆のダンス、そして濃密な「性」のイメージである。

 『ラストタンゴ・イン・パリ』に顕著だが、ベルトルッチの映画にはしばしば過激なセックスシーンが登場し、強烈な「性」のイメージを焼きつける。そしてその多くは、現実に鬱屈したキャラクターの逃避先として機能しているのではと思う。

 たとえば、『ラストタンゴ・イン・パリ』では、妻に自殺されたマーロン・ブランドと、恋人から真の愛を得られないマリア・シュナイダーが、それぞれ現実から逃れるように破滅的なセックスに耽る。エヴァ・グリーンがエロすぎる『ドリーマーズ』では、社会との関わりに怯える学生たちがそこから隔絶された家の中で映画とセックスに戯れる。

 本作『暗殺の森』もそうだ。幼い頃に性的暴行を受けてトラウマを負った主人公がファシズムに傾倒し、俗物的な性格を持つサンドレッリと結婚する。しかし、それらが彼に真の安寧をもたらすことはなかった。その象徴として、ドミニク・サンダの白く透き通った肌が彼の眼前にチラつくのである。

 結局主人公はサンダの蠱惑を跳ね除け、ファシズムと妻に生きるわけだが、それが彼の救いになることはない。つまり、本作に限っては「性」のイメージを断ち切ればよいというわけではないことになる。ただ、イデオロギーへの不用意な没入や、自己救済のための都合のいい生き方が、セックス以上に人間の心を蝕むということなのだと思う。
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 さて、ベルトルッチ作品一貫のモチーフとしては「ダンス」も外せない。本作ではサンダ&サンドレッリがなんとも官能的なタンゴを踊る(=ファーストタンゴ・イン・パリ)。このシーンは本作の白眉だろう。『山猫』然り、禁忌的な香りのするダンスというのは堪らないものである。

 このシーンに禁忌の香りが漂うのは、グザヴィエ・ドランの『トム・アット・ザ・ファーム』よろしく、同性同士のダンスがホモセクシャルなイメージを焼きつけるからである。そこには反ファシズムのエキスを作品に忍ばせる意図もあったのかもしれない。

 まとめると、ファシズムの隆盛と凋落を個人を通して見つめた傑作で、『暗殺のオペラ』と合わせてイタリアン・ノワールとでも云いたい作品。決してファシズムへの頭越しな批判に堕ちるわけでもなく、かつ主人公の葛藤が深く感じとれるぶん、『暗殺のオペラ』を上回ると感じる。
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