まりりんクイン

ダンサー・イン・ザ・ダークのまりりんクインのレビュー・感想・評価

4.9
4kリマスター版を再視聴。
朝っぱらからクッキリした映像で観るもんじゃない。

トリアーの映画はネガティブな時程、観ると元気を貰える。
例え死刑になろうとも自分の考えを最後まで曲げず、周囲の差し伸べる手を拒絶し、ある意味では母親としての責務にも目を背け、現実よりも妄想の中に生きる事を選択する主人公の姿は、一般的に見ればとても独善的で良い人間とは言えない。
彼女は終始「息子の為に」と口にするが、肝心の息子はこの映画には殆ど映らない。それどころか、彼女が息子の話に耳を傾ける描写は一切無い。
だいいち、「13歳までに目の手術を受けなければ一生病気は治らない」なんて、何故彼女に解るのか?医療技術が発達すればいつか完治出来るかもしれないし、息子の事を真に思えば必要なのは絶対に母親の愛情だ。彼女の言う「息子」は現実ではなく、「自分の中の息子」でしかない。
彼女が本当に「盲目」なのは、目ではなく周囲を遠ざけ内に籠った心の方である。

勿論「視力の弱い移民」であることが、その様な精神状態に至る要因だったのは間違い無いだろう。しかし、映画から分かり易い形での原因の明示は無い。
よって本作で描かれる主人公の人間性は、決して特殊な物では無く、辛い現実から目を背け、盲目的な暗闇でしか生きる事が出来ない全ての人達の心理として、広義に捉える事が出来る。

セルマの様な人は現実にも沢山いる。
しかし、本作はそんな人の「あるがまま」を描いているだけで、その生き方を否定も肯定もしていない。
だからこの映画は、観た人の心のあり様が主人公寄りなのか、周囲の人達寄りなのかで、寄り添っている様にも突き放しているようにも見える。
途中でぶった斬られた歌を「最後の歌」と取るか、「歌の途中で劇場を出れば、永遠に映画が続く」と取るかは、観た人の心次第で決まる。

自分がこの映画を見ていて最も恐ろしく嫌な気持ちになる理由はここにある。
セルマの気持ちに少し共感出来てしまうからだ。ラストを見ると元気を貰えた気がする自分が嫌なのだ。

また、本作で描かれる主人公の生き様をポジティブに捉えてみると「周りの目や評価など一切気にせず、自分が良いと思う物を信じ、己の心の内に素直である」という、ある種のクリエイターや芸術家の矜持に近い物があり、主演がビョークという偉大かつイノセントなクリエイターである事に非常に大きな意味があると感じさせる。この映画のやるせ無くも、どこか神聖さを漂わせる不思議な鑑賞感に大きく貢献していると思う。というか、ビョークが主演じゃなかったら人の(自分の)嫌な部分を直で見せられている様で、とてもじゃないが鑑賞に耐えられ無い。

以前観た時より遥かに腑に落ちて心に刺さってしまった、自分の状態を見直した方が良いのかもしれない。
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