狭須があこ

ダンサー・イン・ザ・ダークの狭須があこのレビュー・感想・評価

4.0
私はわりかしポジティブに生きてきた人間ですが、ティーンエイジャーの頃の人生は今より芸術の比率が高く、たったひとつ、視覚を失ったときには自殺しよう。とか思ってました。

彼女の気持ちが理解できる人は、芸術家だと思います。
私は芸術家の視点を想像はしてみたけれど、いまの自分はもう違うので、1400万605通りの未来があったとしても、この先こんな行動は恐らく取りません。

見えないことを言い訳にしないのは、彼女が強いからではない。言い訳ばかりの心象風景、全部を許されハッピーエンドな虚像の自分。
それを作り上げなければならないほど、彼女はそのまま現実を生きるには弱い人です。
視力に関してだけ「だって見えないから」と言わないのは、受け入れていないから。「見えない」と言えば、現実は「見えない」自分に適応します。

彼女を勝手に心配し、勝手に憐れんで、「お前は障害を盾にした」と言い出す。
でも一番のつらさはそれ自体より、そのたびに最悪な現実を突きつけられること。知られないよう隠しておくしかないのです。

芸術家の生きづらさ、わからないけど、わかりますよ。普通の人と芸術家が現実で戦ったら、絶対に芸術家が負けます。
鬱映画だと聞いてたけど、芸術家が現実勝負で勝てないことに関しては「そうだろうな」と納得しました。

たいした自分もなく「普通」に平凡に、スマートに幸せに生きるしかできない沢山の人たちと、自分にしかない道をまっすぐ不幸に向かって突き進むしかない「芸術家」と、どちらの人生が「鬱」「胸クソ」かなんて、他人が判定できるだろうか?

「芸術家」で「母親」の彼女が辿る結末としては、彼女が示したのは明らかに道しるべと愛だったでしょ
親でもある人の幸不幸は、本人の人生のみの評価で決められるだろうか?

私にはこれがいい話か悪い話なのか、判断できませんでした。
彼女は私ではない。
恐怖と絶望で泣き崩れて震えていても、彼女は大事な選択をして、救われたいとも思っていなくて、この結末に、後悔なんかしていないのかもしれないからです。
狭須があこ

狭須があこ