ムーティ松本

ダンサー・イン・ザ・ダークのムーティ松本のレビュー・感想・評価

1.2
とにかく不愉快。結局この作品は通して何を伝えたかったのだろう? おそらく何も無い。残酷さや陰惨さそのものを作品のウリとしているだけの、陵辱もののポルノのような作品。

メッセージ性として「人生の理不尽を描いているんだ」とか高尚な文を並べたとしても、結局物語で起こる事象の大半はビルという1人の畜生によってもたらされたものなのでさっぱり響かない。
なぜなら、ビルという存在はただ物語を在るべき方向、理不尽ルートへと導く狂言回しでしかないからだ。一応申し訳程度の動機はつけられているが、それによって人間性や葛藤を描けているかと言われれば全くそうではなく単なる舞台装置でしかない。

ビルを始めとして、主人公が都合よく(というより、都合悪く)不幸になるように周りの人間から環境まで全てが設定されていて、逆ご都合主義のストーリー展開が薄っぺらい。中盤以降は希望を感じられるようなことすら何一つ起こらず裁判でもひたすらに心象が悪くなるばかり、主人公の言動から周囲の反応まで殆どがストーリー運びのためだけに設定されている感じ。あらゆる設定に重みや奥深さが全く感じられなかった。
この作品の各種描写は、ストーリーがイマイチな作品にありがちな「全体で見たストーリーありきで展開や設定が考えられているので、人物描写や情景描写が不足している、あるいはチグハグになっている」現象の典型的な例だと感じた。

これらの問題により、この作品は理不尽に打たれる人間の生き様を描く、という域にすら達していない。だからこそ不愉快なものでしかなかった。

勿論暗い展開が続く作品や残酷な描写を一概に否定しているわけではない。そういった作品の殆どはそれぞれの描写や展開に意味がある筈だからだ。
ただこの作品はひたすらに空虚。暗く残酷で理不尽な展開が「あること」そのものが「鬱映画」というレッテルとしての意味。
善良な人間がひたすら理不尽に晒されるのをじっくりと見せられるのみ。話自体最初の1時間半ほどで8割終わっているのに、裁判のシーンから最後まで「苛め」の描写がダラダラと続きより不愉快。
裁判のシーン以降が顕著であったものの、そもそも全体的に見て映像が退屈である。鬱々とした空気感と言えば聞こえはいいが、特に面白みもない画角でただ淡々と話が進んでいくのみで、それを醸し出せてすらいない。普段は家でも劇場でも映画は集中して見るべきだと考えている私ですら、後半は先がわかりきった展開に対してあまりにも遅い話の進み、ノロノロと動くカメラワークなどに退屈しきってしまい、スマホをチェックすらしてしまった。これほど真剣に観る気を失った作品は始めてかもしれない。

主人公のミュージカルの空想設定については心理描写としてはたらいているのはわかるものの、ただ合間合間に挟まれているのみで「妄想と現実が混ざり合い、解釈は視聴者に委ねられる」といった表現・演出にもなっていないので、これまた設定ありきでねじ込んだだけという印象。(音楽だけ評価すれば、工場の曲や列車の曲の芸術性は見事だった。ここで+0.2)

そして極めつけはただ胸糞が悪く、納得のいかないオチ。
「息子の将来のために自分という障害を取り払った、その心意気に感動」といった感想が散見されるわけだが、世の中には障害を持ちながらも、仲間や家族と支え合いながら懸命に暮らしている人がいるであろうことを考えたら、私はとてもじゃないがそれを「美談」とすることは出来ない。

この作品はそういった人達を否定しているわけではないであろうことは理解しているが、前述の「障害者イジメというストーリーありきの展開」の薄っぺらさと併さり只々不愉快に思えた。

弱者の苛めが大好きな倒錯者や、理不尽で報われない境遇を自分の人生と重ね合わせて慰めを得たい方にはおすすめ。
ムーティ松本

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