悲しみのミルクの作品情報・感想・評価

悲しみのミルク2008年製作の映画)

LA TETA ASUSTADA

製作国:

上映時間:97分

ジャンル:

3.5

「悲しみのミルク」に投稿された感想・評価

masa

masaの感想・評価

3.6
ジャケとタイトルに魅力を感じ即借り。
ペルー映画。

母親の苦悩が母乳を通して子どもに伝染する「恐乳病」という南米ペルーの言い伝えを基に、残酷ながらも感動的な話。

母親を失った若い娘ファウスタ(マガリ・ソリエル)。母乳を通して母の体験した苦しみを受け継ぐ病、「恐乳病」に侵されていると信じるファウスタは、男たちから身を守るためにじゃがいもを体の奥にひそませていた。母の埋葬のためにピアニストの屋敷で働いているファウスタだったが、ある日ファウスタの口ずさむ歌が雇い主の心をとらえる…

「恐乳病」とは初めて聞いた。
一見不思議なストーリーだが独特な映像美とペルーの歴史に惹かれました。
ペルー映画とんでもない。伸びてゆく芽をどんな気持ちで切り落としてたのか。
LEONkei

LEONkeiの感想・評価

3.5
ペルーの山岳地域に住む素朴な村人や美しい自然、静かに感情を押し殺し生きる娘〝ファウスタ〟の生き様は痛々しい。

悲惨な人生を歩み亡くなった母の血を受け継いだ〝ファウスタ〟は、母親と同じ道を歩みたくない…歩まねばならない運命を避けるために生きる。

〝ファウスタ〟の気持ちを改めて考えると、やりきれない悲しみが胸を熱くする。

彼女のカラダの中に〝あるモノ〟を取り除いてあげられるのは一体何か…。

できることは、単なる〝慰め〟だけなのか…。

村の結婚式・病院・音楽家の屋敷・墓穴を掘る叔父…各シーンが違和感なく日常的に描かれ、現実社会の厳しさの中でひとりの娘の葛藤は内面に抑え込むことで感情の深みが増す。

ファウスタ役の〝マガリ・ソリエル〟の無口で悲しみの表情や歌声は、観ている自分が自然と違和感なく演技に引き込まれていた事に気づく。

音楽家邸庭園での庭師とのやり取りが、ファウスタのココロの闇を表面に一瞬見え隠れし動揺する姿がなんだか美しく印象的..★,
Yoshmon

Yoshmonの感想・評価

3.5
鑑賞するタイミングはしっかり確認しないといけない。
仕事から帰って夕食食べながら見ようと、再生。

冒頭から食欲が失せる母親の悲痛な驚くべき歌声…。

一部始終、不安にさせる少女の静かな動向。

"怖乳病"

母親のトラウマが母乳を介して子どもに伝わると信じられている病。

母親と同じ悲劇を避けるため、ジャガイモで塞ぎ、そして発芽する。健康を害する。

生きるための対策が、ややも悲しく虚しい。

全体を覆う暗い空気に、それとは裏腹な無難な優しさもある。
僕の知らないペルーの一面。
食塩

食塩の感想・評価

3.5
妙なしきたり
事前にあらすじを見てもさっぱり意味わからなかったんだけど、イモって!終始それにびっくり!冒頭の歌の「肉棒」の歌詞にもびっくり!
全く理解できない映画だった。何がしたいのか分からん

このレビューはネタバレを含みます

異国の悲しい歴史なんてどうだって構わないじゃないかという考え方も当然ある。自分には関係のない話じゃないかと突き放すのも勝手だ。この国ペルーの貧困をどうすればなど、自分にはできるわけもない。しかし、映画は非常に良かった。なぜだろうと考えるのが役目だ。主人公の少女に感情移入してしまったのか。この場合、異性であれば綺麗であるとか、好きになる理由はいくらだってある。確かに要素として、その部分はあるのだろうが、この映画の場合は、それこそ自分とは関係のない悲惨な国の歴史にこそ改めて設定として関係を作ってしまう。その歴史を目の当たり受けてきた母親の死から映画は始まる。その子には辛い思いをさせたくないと手を施すのだが、その方法が普通では考えられない膣にじゃがいもをはめ込むというのだ。それによってレイプされないで済むという考え方からなのだが、これには驚かされた。初めて聞く話だ。全篇に渡って詩的(現実とはかけ離れたという意味合いから)な表現が出てくるが、その最たるものが少女の歌う歌の内容である。その中にこないだ新聞で読んで気になっていた「キヌア」という植物があり、こういうのはタイムリーで何かあるなと感じさせてくれる。常に会話の中に登場するフレーズが「お金がない」という言葉。少女は母親を村で葬リたい希望、つまりちゃんと霊が静まるように儀式を行いたい。(そうでなければ普通に穴に埋められてしまう)
そのためにちょうどピアニストの家で手伝いをする仕事があるという。一人では何もできなかった少女の一大決心である。その前に「恐乳症」という、驚くと鼻血を出してしまう病気(そういう病気は本当にはない)の治療が必要であるという伏線が引いてある。ここで無知とはどういうことであるのかを考えてみると良いかもしれない。つまり教育を施しがなかった場合、現に極貧のところではそういう余裕もないはずだ。貧しさの度合いが日本とは異なるのである。村という表現がぴったりの場所、人間は子供も含め犬や鳥で溢れている。少しエミール-クリツィア描くロマの民の雰囲気に似てなくもないが、とにかく賑やかだが、根底には「お金がない」貧しさがある。
例えば大昔教育制度がなかった頃、目の前で起こること、自然現象を含め、人の死、あるいは腹が減ったとか、人を好きになるとか、ピュアな状態で物事に接し、当然信じ難い現象はすべて神の成せる技とされるのは、極当たり前のことであったはずだ。霊の存在だって信じられていたはずで、それくらいのレベルでの話であるのかもしれない。新しい環境はいつも驚きの連続である。当然の事、鼻血は出る。葬儀をするために必要な棺桶を買い求めるところとか、村までのバス賃を尋ねるところ、あるいはどうも嘘くさい結婚式の模様など、異国の雰囲気が満載であった。その中でピアニストの家の庭師とのやりとりには温かみがあり、ほっとするのとラストじゃがいもの鉢植えの花で結ぶところなどはしゃれていた。また、ピアニストが少女から歌を提供されるたびに真珠のネックレスがバラバラになった一粒一粒を貰うというのもおしゃれだった。コンサートで披露していたピアノ曲は名曲の内に入るのではないか。良くは理解してはいないが、なかなか辛辣でおかしみも漂う一品であったのは確かである。
masayo

masayoの感想・評価

4.5
何故かグングン引き込まれて
最後まで観てしまう映画‼︎

つまらないと感じる人もいるかも‼︎
私はとても好きです。

誰しも心に闇は抱えていて
闇との付き合い方が人それぞれ
違うだけ‼︎

しかし鼻血、貧血とジャガイモは関係
あったのだろうか???
ちょっと謎(^^;
叔父さんも庭師さんもいい人♡
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