KnightsofOdessa

ビフォア・ザ・レインのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ビフォア・ザ・レイン(1994年製作の映画)
5.0
[完全無欠なメビウスの輪] 100点(ATB)

昔ユーゴスラビア内戦について調べていた時にたどり着いた。ユーゴスラビアとは”七つの国境,六つの共和国,五つの民族,四つの言語,三つの宗教,二つの文字,一つの国家”と呼ばれるほど複雑な国だが、二次大戦中にレジスタンスのトップだったチトーが”反共、反ソビエト”でユーゴをまとめあげた。しかし、チトー亡き後、カリスマ的人間が不在となったユーゴは徐々に崩壊を始める。想い出記録。

第一部”言葉”では言葉の通じないマケドニア人修道僧キリル(キリスト教系)とアルバニア人少女ザミラ(イスラム教系)の交流が描かれる。ふたりは安全と未来のために教会から逃げ出すが、ザミラは兄に射殺される。
第二部”顔”ではロンドンの雑誌編集者アンが夫のニック、専属戦場カメラマンのアレックスの間を揺れ動く話が描かれる。マケドニア人のアレックスはアンに”マケドニアで暮らそう”と迫るが、アンは返答に困ってしまう。その夜、夫と共にセルビア系のレストランに訪れたアンは客とウェイターの喧嘩に巻き込まれ、客の放った銃弾によってニックの顔が吹き飛んでしまう。
第三部”写真”ではマケドニアに戻ったアレックスの話が描かれる。かつてマケドニア人とアルバニア人は同じ学校に通っていたが、今では居住区が分かれている。初恋の人であるアルバニア人のハナに会いに行くが、マケドニア人からもアルバニア人からも白い目で見られる。やがて、アレックスの友人が殺され、犯人らしきアルバニア人少女を捕まえようとマケドニア人たちが銃を持って乗り込んでいくが、アレックスが彼女を庇ったことで彼が撃たれて亡くなる。助かったアルバニア人少女が教会に逃げ込むシーンで映画は終わる。

第一部でアレックスの葬式らしきシーンでアンが登場し、第二部でアレックスが撮った撃たれたザミラの隣で座り込むキリルの写真が映され、第三部でアレックスが庇うのはザミラなのだ。このメビウスの輪のような脚本は見事としか言いようがない。

作中、各部ごとに一人亡くなるが、ザミラもアレックスも同胞であるアルバニア人/マケドニア人に殺されており、直接的に民族どうしが殺し合うシーンはどこにも見当たらない。しかも、彼らの怒りは敵とされている別民族へ向かうのだ。戦争の無情感が上手く表れている。この悪循環をメビウスの輪として映画内でグルグル回すことによって、誰のための戦争でもなくなった民族戦争を映し続けている。
また、第二部で亡くなるニックの吹き飛んだ顔が吹き飛んでしまうのは今となってはありふれてしまった”反戦を謳う死体や孤児の写真”の暗喩であり、西欧諸国にとってBGMのようになってしまった他国での戦争に対する無関心を暗に伝えている。

1994年当時、戦争はまだ終結していなかった。現在でも終結したとは言い難いが、ある程度落ち着いたと言えるだろう。本作品で発信されたユーゴの未来はマタニッチの「灼熱」によって回収された。
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