緑雨

おおかみこどもの雨と雪の緑雨のレビュー・感想・評価

おおかみこどもの雨と雪(2012年製作の映画)
4.5
ファンタジーの二重構造に、妙に生々しいリアリズムが絡み込むことで、ヒロインは理想の偶像と化す。偶像であるが故、その”あり得ない”強さが感動を呼び起こす。

『おおかみこどもの雨と雪』はファンタジーである。そんなの当たり前だ。狼と人間、双方の血が流れる一族、という時点でこれがファンタジーであることは大前提である。

しかしユニークなのは、これがファンタジーとしての二重構造を持っているということ。メタ的なファンタジーの体現者として立ち現れるのが、ヒロイン・花である。

そもそも彼女は不可思議な存在だ。一人暮らしの女子大生だが、父親がすでに他界しているということを除き、そのプロフィールは明らかにされない。学生の身で妊娠し子を産み、シングルマザーとなり幼な児を抱えて山奥に移住する。その過程に生じるべき肉親の介在や葛藤は省略されている。

これ以上ないようなショッキングな体験を眼前にしながら、その嘆きは長続きせず、すぐに気を取り直して幼な児を育てることに邁進する。我が子がおおかみこどもであるという秘密を隠しながら、数々の困難に遭いながら、けっして挫けることなく前向きさを失うことなく、常にへらへらと笑いながら、自学自習で生き抜いていく。

なんなのこの強さ。

ここまで強い人間、現実世界には存在しない。生身の人間は、困難にぶち当たれば迷い、嘆き、逃げる。それが人間ってもんだ。要するにこの花って女性は、現実に生きる我々が到達し得ない理想の偶像なのだ。到達し得ない崇高な存在。崇高だからこそ、その生き様に憧憬し感動が生まれる。

そしてこのメタ的なファンタジー構造を支えるのが、一方でディテールまで子細に作り込まれたリアリティである。郊外の商店街、本棚の書籍のラインアップ、廃屋同然の日本家屋がビフォーアフターする様、過疎地の小学校やコミュニティの在り方。そして、騒音に憤る隣人や押し入ろうとする社会福祉事務所の調査員など。これらのリアリティが生々しいだけに、それを乗り越えていく花の非現実的な強さが際立つのである。
緑雨

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