晴れない空の降らない雨

おおかみこどもの雨と雪の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

おおかみこどもの雨と雪(2012年製作の映画)
4.2
 何というかまぁ批判されるのもよく分かる。問題を突き詰めると「人間観が浅い」ということに尽きると思う。ひどい言い草だけど、和製アニメの巨匠たちが描いてきたキャラクターのような「業の深さ」を、細田の作品からは微塵も感じない。それが、エキセントリックな演出を避ける秀才的な作品づくりとあわせて、細田作品をやや物足りなくしているきらいも否定はできない。
 ただ、ここでは、ある意味でそれを評価したい。むしろ細田の監督作からは、不自然に突出する部分をあえて抑えるという強い自己抑制を感じるからだ。更に言えば、ぶっちゃけ現実の人間って、そもそも大して「深く」もないわけですよ。とか考えてみると、本作の「浅さ」も、一周まわってリアルに思えてくるわけだ。創作姿勢に関していえば、最近の若手監督は自己アピールが強いので(分かりやすい「作家性」による固定客獲得)、このような作り手がいることには安心を覚える。
 
 高校生や子どもが主人公でないというだけで和製アニメの典型から逸れるわけだが、それにしても本作はなかなか難しい題材だったと思う。それをかくもウェルメイドに仕上げる安定感を素直に賞賛したい。観ていてぜんぜん不安を感じない。そもそもロングショットで全身芝居をじっくり見せるスタイルが好みだし、和製アニメの特長である自然描写の美しさも手抜かりなく、画面だけでも満足いく作品になっていた。とくに彼の死体がゴミ収集車に運ばれる一部始終を決して花の表情を映すことなく淡々と見つめながら、それゆえに花の悲痛な思いを感じさせるところは絶品で、監督と好きな映画を共有しているのではないかとすら思った。
 
 この安定感はどこから来るのか。まず、本作は10年以上の長期間を描くため、ペース配分はかなり厳密に感じられた。4部構成にきっちりと分けられており、ちょうど中間あたりに、積雪の山を駆け下りるシーンがある。今まで本作から得られなかった突然かつ極端な解放感に驚かされる。ついで事件が起こり、雪の簡潔なナレーションによって、ここが映画の折り返し地点であることが知らされる。そのことがはっきりと意識されなくとも、観客の気持ちはいったんリセットされるのである。そして、ウェス・アンダーソンを連想させるユニークなカメラの横移動(これは前2作でも記憶に残る使われ方をされていた)によって、年月の経過をダイジェストしていく。この省略法は非常にユニークなので、駆け足という印象を与えない。適切な緩急の付け方によって、映画は慎重に中だるみも駆け足も避けているのだ。
 
 また、安定した構図によるロングショットでの日常芝居の積み重ねがある。これは特に序盤の、花の学生時代において顕著である。緻密に描き込まれた生活感あふれる背景、アニメーションそれ自体のリアル志向はもちろんのこと、同じ背景・構図の反復による効果も見逃せない。これが、彼女がある場所で確かに生活しているというリアリティを、ジワジワと醸し出している。さらに、こうした対象から一定の距離を置いた、落ち着きある描写が基調をなすからこそ、感情が爆発する場面がここぞ生きてくる。
 
 一家が引っ越してからは明白に宮崎駿の影響がみられるが、影響というか自覚的なアピールのようにも受け取れる。つまり、日本の劇場アニメーションの正統を継ぐという自負の現れに思われたのである。細田はスタジオ地図を新たに立ち上げたわけだが(オープニングテロップの最後に出てくるのが目を惹く)、その第一作にそのような決意表明が込められていてもおかしくはない。そして実際に本作は、非ジブリのオリジナル作品として異例のヒット作となった。対する次世代ジブリ監督たちの当時の体たらくをみると、細田がジブリに入社できなかったことは正解だったのだろうと思わせられる。ちなみに自分がジブリのDNAを最も感じるのは、細田作品のキャラクターが笑うときに見せる大きな口である。
 
 ケチつけるなら、タイトルバック明けの道行くモブたち。CGなの丸分かりだぞ!(別に隠す気もないだろうけど)