えそじま

善魔のえそじまのレビュー・感想・評価

善魔(1951年製作の映画)
4.0
怪優三國連太郎が鮮烈なデビューを果たした記念碑的作品。
三國連太郎が三國連太郎役を演じていると言ってしまえば可笑しな話だが、事実彼の藝名はこの作品の主人公に由来しているそうだ。

良く言えば純粋、悪く言えば愚直な青年記者が高級官僚夫人の失踪事件を探っていく内に死の無為性やリアルな欲望の醜悪と邂逅し、若さゆえの独善的な牙を剥き出しにしていくというお話。

タイトルの"善魔"とは、善が何故悪に太刀打ち出来ないかという哲学に基づく。
森雅之曰く、「人間の善性とは本来己を守る事に精一杯で進んで悪に戦いを挑むようなものではない、つまり社会の澱みを失くす為には純粋な善性に悪の一面を持たせなければならない。この一面を魔性と呼び、善性と併せて"善魔"」だそうだ。


本日午前柏のキネマ旬報シアターで「聖なる犯罪者(2019年)」を鑑賞したばかりなので同じような語り口になってしまい大変申し訳ないが、本作は今から丁度70年前戦後日本で木下恵介によって制作されたものでありそのテーマの不変性こそがIT技術の進歩に対する人類の停滞を物語っている。


人間とは過ちを繰り返しては互いの傷を舐め合い一歩ずつ前進していく弱い生物なわけで。主観的に正しい攻撃、即ち魔性の善は時に必死に立ちあがろうとする弱い人間の心を真上から叩き潰す凶器にもなり得る。"正義"ほど矛盾に満ちた言葉はない。この矛盾を最も分かりやすく現代エンターテイメントとして風刺しているのが映画ファンなら誰もが知ると言っても過言ではない「ダークナイト(2008年)」のジョーカーだろう。
本作における三國クンの猪突猛進な正義感が敵味方問わずおよそ褒められたものではない大人の深い恋愛情緒や夫婦関係の齟齬に水を差すという結末は、我々現実に生きる"弱い人間"にとって不快極まりないものとなっている。
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