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キス・オブ・ザ・ドラゴンのkyのレビュー・感想・評価

キス・オブ・ザ・ドラゴン(2001年製作の映画)
3.8
脚本家リュック・ベッソンのストーリーテラーとしての役割はもちろんのこと、役者ジェット・リーのストーリーテリングがポイント。
キス・オブ・ザ・ドラゴンの意味がラストで昇華される心地よさ。


あらすじ
中国とフランスで麻薬密売を企てる中国人ギャングを追ってパリに来たエリート捜査官リュウ。
現地警察の警部リチャードは非協力的。
組織の娼婦ジェシカと出会ったリュウは、事件に巻き込まれていく。


感想・考察
脚本家リュック・ベッソンと役者ジェット・リーのストーリーテリング
映画のストーリーを書くのはあくまでも脚本家であって、映画に観客を引き込むのはストーリーテラー。しかし、いくら優れたストーリーテラーが脚本を書いても、そのストーリーに役者が合致しなければ、優れた映画とはならない。優れた役者がいてもストーリーがなければ同じこと。なのだけれど、今作はストーリーテラーとしてのリュック・ベッソンの脚本と主演のジェット・リーの演技が見事にマッチしている。これは僕が「ダニー・ザ・ドッグ」をアクション映画の垣根を超えたドラマチックと感じた時と同じ印象。
リュック・ベッソン監督といえば「レオン」を始め「トランスポーター」など多数の人気作品の脚本を努めていて、監督としても脚本家としても名高い。彼のストーリーはアクション映画には類を見ないほどの人情味を感じさせ、ドラマチックに仕上げる。それは「レオン」のようなドラマでは当然ドラマチックだし、アクションでもそうなのだ。だから映画のカテゴリに関わらず僕は彼のドラマチックな脚本が好きだ。そして、人間の強い部分も弱い部分も、出し惜しみつつも、結果的に丁寧に露出してくれるジェット・リーの演技も好きだ。
この2人から僕が感じるのは「役者と脚本家」というそれだけの関係には収まらないストーリーテラーとして共鳴する2人の姿。そもそも、ストーリーテラーとは、筋立ての巧みな作家という意味らしい。作家といえば、役者であるジェット・リーが、それに該当するのか不明瞭ではあるけれど、僕は彼を作家だと思う。というのも、彼は小説家や詩人のように作家的に文章で表現するわけではないけれど、演技の中に作家的な機微を感じることができるから。文章でなくても作家と呼んでもいいのではないかなと思う。というより、なんなら全身で表現している彼は一層、作家的だったりする。役者は役者だと言われそうだれど、どうしても彼は単に役者ではなくて作家、つまり、ストーリーテラーだとを感じる。

キス・オブ・ザ・ドラゴンの意味とは
物語が始まってからというもの、「キス・オブ・ザ・ドラゴン」のタイトルの意味なかなか腑に落ちず、モヤついていた。直訳すれば「龍の口付け」なのだけれど、一向にその解が見当たらない。伏線となりうるようなシーンも見当たらなかった。リュウに近づくジェシカも娘がいることと、彼に好意はなさそうだったので、本質的な口付けとは程遠い。ジェシカが娼婦ということもあってか、タイトルにジェシカの口付けという意味で、込めるには不純というか安直な感じもしていた。
しかし、ラストで心地よい昇華が待っていた。「キス・オブ・ザ・ドラゴン」は、首元に鍼を刺し一発で相手を仕留めるリュウの技のことだった。一般的には単調なストーリーかもしれないけれど、さすがストーリーテラー、リュック・ベッソンだと感じるラストの演出。カンフーの柔からなイメージが口付けを意味していて、尚且つ、ドラゴンのような強く高貴な会心の一撃。予想外だが唸るラストだった。
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