東西の核戦争が勃発し、原子力爆弾が投下された英国の片田舎で生き延びてしまった老夫婦の物語。英国のベストセラー絵本を原作にしたアニメーション映画。吹替版で鑑賞したけど、森繁久彌も加藤治子も穏やかな声色の演技が作中の空気感を効果的に演出してて好ましい。
原典のタッチを再現した柔らかな絵柄がやはり印象深く、何処かファンシーな趣さえ感じるからこそ淡々と描かれる“閉塞感”の迫力が増している。映画は終始に渡って老夫婦の周辺のみを描き、彼らの辿る顛末を冷淡さと一抹の慈悲を以て見つめ続ける。映像的なダイナミズムに老夫婦は一切関わらず、ただ只管に時間ばかりが過ぎ去っていくのである。頻繁に実写表現を挟み込んでくる演出は独特の生々しさを作り出しているものの、多用しすぎて却ってアニメーションの現実性を阻害している印象も否めない。
本作の老夫婦はそれぞれの形で核戦争に対する楽観/無関心を示している。妻は社会情勢に興味を持たず、現状に対しても目先のストレス以外への危機意識に乏しい。夫は新聞記事や政府の発信へと熱心に触れてはいるものの、情報の選別・理解については全くの無知だった。今は緊急事態であると認識しながらも、“政府の機能不全”という可能性については考えもしないことの遣る瀬無さ。そして現状を理解して準備を整えているにも関わらず、過去の戦争を乗り切れてしまった夫妻は“明日の平穏”を疑っていないのである。放射能を警戒しつつも核汚染について正しく理解していない行動を繰り返し、そのまま衰弱していく様子が何ともやりきれない。
こういった描写は大衆の無知や無関心への警鐘であると同時に、戦争/核兵器というマクロな事象に対する個人の圧倒的な無力を突き付けるものである。例えあの場で老夫婦が如何なる選択をしようとも、国家間の破壊的衝突が起きた瞬間から市井の人々は“真っ当な生活”を根こそぎ奪われていくだけなのが分かる。それ故に彼らは希望的観測に縋るくらいしか出来ない。結局のところ、国という枠組みの中で人間が生きていく以上、国が人間を守れなければ老夫婦のように”無力な犠牲者“が出るのみなのだ。そういう意味でも、本作は国による戦争や核兵器という“破壊行為”に対する強烈なアンチテーゼに満ちている。
作中の情報や進行に関しては丁寧というより少々緩慢に感じる部分もあったものの、“核戦争の脅威”を極めてミニマムな視点で淡々と描いた本作には確かな意義があると思う。絶望的な状況を静かに描き続けた果てのラスト、その虚しさを穏やかに包み込んで鎮魂するようなデヴィット・ボウイの楽曲が印象深い。