イホウジン

蜘蛛巣城のイホウジンのレビュー・感想・評価

蜘蛛巣城(1957年製作の映画)
3.8
疑心暗鬼は人生の転落の始まり

「マクベス」を未鑑賞のためどこまでが原作のシナリオでどこまでが独自のそれなのかの区別はつかないが、比較的シンプルな物語の中に、人間のダメな部分が詰め込まれているような映画だった。ただ一つ指摘したいのは、今作の人間は“ダメ”なのであって別に“醜い”という訳ではないということだ。後者は余程のことがない限り現実世界には現れないが、前者については誰もが内在し得るものである。つまり、今作の主人公の独特な愛嬌は、その言動の生々しさに起因するものであるとも考えられる。だとすると、今作で主人公に終盤より降りかかる災難は、決して寓話的な世界の中だけでは済まされないものである。
今作の主人公を破滅へと導いた引き金は、「疑心暗鬼」な心の芽生えだ。元はと言えば、彼は別に強欲な人間でもなかったしむしろ性善説的な人間を信じる心優しい人間だった。しかしそんな彼の人柄は、謎の予言とそれを熱狂的に信じる妻の手によって次第に崩されていく。成功を約束された人間が、それをさらに確実なものにするために疑わしい人間を排除しようとする様は、なかなかに皮肉である。成功を手にする代わりに孤独と不安に付きまとわれる存在となった主人公は、その権力とは裏腹に次第に堕落していき、最後は呪術的な“安心”の虜となってしまう。彼の最期はまさに彼の宿命だったとも言えよう。他者に対する疑いの目は、最後には自分自身の信頼さえも崩してしまったのだ。
映像は言わずもがな見事だ。映画のコンテキストの多くが映像表現にも委ねられている。登場人物達があまり多くを語らない分、その不足しているものを映像が補完しているかのようだ。そしてさらにその不足分は俳優陣の演技、特に三船の迫力で補われる。全編にわたる彼の変貌ぶりもまた今作の魅力の一つだろう。

確かにラストの主人公が矢を受けるシーンは圧巻だが、実のところそれ以外で印象に残る場面はあまり多くない。映像も所々やたらと長いことがあるし、ストーリーも上手く回収しきれていない部分がある。
あとこれは技術面の問題だが、音声が本当に聞き取りづらい。映像から何となく内容を掴めるのはさすが黒澤監督だと思うが、とはいえ声がこもってしまうのは実に惜しい。
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