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ターミナルのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ターミナル(2004年製作の映画)
3.6
 東ヨーロッパのクラコウジアからやってきたヴィクター・ナヴォルスキー(トム・ハンクス)は、ニューヨークの空の玄関JFK国際空港に降り立つものの、祖国でクーデターが起こり、祖国が消滅したためパスポートが無効になり取り上げられてしまった。アメリカへの門戸を閉ざされた彼は、仕方なく空港ターミナル内での生活を始める。パスポートもお金もなく、言葉が通じないことから散々な目に遭いつつも、彼は徐々に生活の方法を習得していく。

『プライベート・ライアン』、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』に続くトム・ハンクス主演×スピルバーグ監督コンビの第三弾。これまでの2本の作品では片や大尉、もう一方ではFBIの敏腕捜査官を演じたトム・ハンクスだったが、今回はそれとは一転し、漂流者のようになった架空の国・クラコウジアの移民に扮している。彼はある目的のためアメリカを訪れるが、ニューヨークを目前にした空港のゲートで足止めを食らう。そこには頑なに法律を守る空港警備局主任のディクソン(スタンリー・トゥッチ)の厳格な審査があり、彼のような不審者を簡単にニューヨークに入れさせない。パスポートを没収され、僅かなお金を与えられたナヴォルスキーの運命は決まったかのように見えたが、恐るべき対応力で環境に順応していくのである。

前作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』での母親と叔母が話すフランス語が、アメリカ国民であるクリストファー・ウォーケンを決定的にのけ者にしたように、スピルバーグはアメリカ社会における言葉が通じないことへの恐怖を声高に描く。彼は明らかにロシア語のような言葉しか話せず、コミュニケーションも危ぶまれるほどだが、冷徹なディクソンはあえて彼に対して滑らかな英語で話しかける。この言葉を話せないことでの隔絶の主題は、これまで『未知との遭遇』や『E.T.』の宇宙人、『太陽の帝国』や『カラーパープル』での人種間のディスコミュニケーションなど実に様々な作品で頻繁に用いられた。それ以外にも『激突!』の物言わぬタンクローリーのドライバー、『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』などは人間の言語などあらかじめ判別出来ない獰猛なモンスターとの物言わぬ戦いだったはずである。見方によっては『シンドラーのリスト』や『アミスタッド』のナチスドイツや奴隷貿易下のスペインの植民地の大地主たちも、自分たちとは違う民族の言葉に耳を傾けなかったからこその蛮行だと強引に言えはしないだろうか?『オールウェイズ』におけるリチャード・ドレイファスは不慮の事故で死んだ後、愛する恋人の元を訪れるが、彼の言葉は無情にも彼女には聞こえない。スピルバーグはこのようなコミュニケーションの断絶と言葉の通じない恐怖を、自らの通奏低音として物語に忍ばせる作家だと言える。

ではこの場合、宇宙人や子供ではない主人公に手を差し伸べるのはいったい誰であろうか?スピルバーグの映画では大人びた子供と子供じみた大人がしばしば対比的に描かれるが、夜の闇の中の窓ガラスに写る飛行機のライトに唐突にびびる子供じみたトム・ハンクスに手を差し伸べるのは、清掃員のグプタ(クマール・パラーナ)であり、フード・サービス係のエンリケ(ディエゴ・ルナ)であり、最も大きな影響を与えることになる、妻子ある男性との不倫の恋に悩んでいるCAのアメリア(キャサリン=ゼタ・ジョーンズ)に他ならない。彼ら彼女たちの存在が、ナヴォルスキーが徐々に言葉を覚え、環境に順応し、更に人間としての尊厳を取り戻そうとする作業を後押しする。ここでは前作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の父親とは対照的に、祖国を失った男が再び男性としての本能を呼び覚ますまでを描いているのである。その意味では今作を単純にロマンスやライト・コメディのジャンルに区分けするのはいささか強引である。むしろ最も遠いであろう『ジョーズ』との方が遥かに親和性が高いと言えるし、スピルバーグは明らかにゼメキスの『キャスト・アウェイ』の文明論のモチーフを意識しているかのようである。

実際にナヴォルスキーとアメリアのロマンスの行方は、今作ではさほど重要ではない。むしろ空港の金属探知機によって、素っ裸のトム・ハンクスの体の胸の部分に無造作に置かれた丸い缶に入っているものがいったい何なのか?中盤からはむしろそちらの描写に力点が置かれている。自らの弛まぬ言語学習の成果が発揮される象徴的な場面がある。ディクソンを出し抜こうとするロシア人の持ち込んだ4本の缶が取り上げられそうになる時、ナヴォルスキーの機転により、4本の缶が父親のためではなく、ヤギのためであるという逃げ道を用意し、管理官をまんまと出し抜くのである。クライマックスのナヴォルスキーへの市井の人々の善意は、アメリカの尊厳と誇りをまだ忘れていない。前作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』同様、厳格なアメリカ社会の管理から逃れようとする市井の人々の活躍を描いた物語は、前作と今作で何か予感めいたものを感じさせ、続く『宇宙戦争』で決定的なものとなる。