カラン

イントゥ・ザ・ワイルドのカランのレビュー・感想・評価

イントゥ・ザ・ワイルド(2007年製作の映画)
5.0
青春!

心がしみったれて、逃亡の夢を見なくなり、それに気づかないなんてことがないよう、この映画を見返すことにしよう!

これは物質社会とか家庭環境の話しではない。心の旅なのであり、正しい意味でロードムービーである。母や妹の回想シーンが挟まり、時系列が錯綜するのは、逆説的だが、家庭環境が問題なのではなく、純粋な自由への渇望こそが重要な主題なのだと言いたいのではないか。母がどういう教育をしていようと、《自然》へと逃げなければならなかったし、妹がどれだけ深い理解を示そうと、独特の孤独のなかで語り続けざるを得なかったのだと、言いたいのだと思う。人物が錯綜したり時間がもつれるのは、逃避とモノローグの渇望をいっそう強調するのだろう。物質社会であってもなくても、彼は飛び出したのだろう、外へと。


以下は、エミリー・ディキンソンの詩だ。私の知る限り、ずっと自分の部屋にいて、詩を書いて、死んでいった詩人だ。

I never hear the word 'escape'
without a quicker blood, a sudden expectation, a flying attitude!
「逃げる」という言葉を聞くと、
血が脈打ち、唐突に期待し、飛び立とうとしてしまう!

I never hear of prisons broad by soldiers battered down, but I tug childish at my bars only to fail again!
大きな監獄を兵士が打ち破ったと聞くと、子供のように自分の檻を揺すってしまう、どうせ無駄なのに!


逃げ出すことが夢になり、そのことを考えると恍惚とした気持ちになれる人間がいるのだ。

1人ぼっちで生きているのに、しゃべり続けざるを得ない人間がいる。誰もいないのだが、話しを止められない人間がいるのだ。

他人には分からないのだが、逃げたいと、この映画の主人公は思うのだ。そして誰もいないところに、たぶん自分の存在すら感じなくなるような世界に、脱出したいのだ。そうやって孤独になって、奇妙なことに、しゃべり続けるのだ。そして語りの中で、自分にとっての自分という、真っ白い雪のように純粋であるべき存在のなかに、他者との絆を見つける物語だ。

自分の心の中に他者が住んでいるから、人は人のいない雪原で語るのだ。そういう悟りをゆっくり丁寧に旅の中で、あくまで叙事的に、モノローグとして語る。そこに他のモノローグが交錯する。

ヴィム・ヴェンダースの乾いた感触とはまた違うが、アメリカの古典文学のような話しをうまくまとめ、ショーン・ペンは傑作を創り上げた!
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