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折鶴お千のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

折鶴お千(1935年製作の映画)
4.0
レビュー1000本祭りの1作目は泉鏡花原作、邦画を代表する巨匠、溝口健二監督のサイレント映画で「千」のつく『折鶴お千』にしました。
溝口監督のサイレント最後期の作品で、既にヒロインを容赦なくいじめ試練を与えています。もうやめてあげてと言いたくなるほどの不運と不幸のオンパレード。
ヒロインは18歳の山田五十鈴。白い肌が深い闇でひときわ輝き、身体は売っても心は清い有り様を表していました。

お千が折鶴を飛ばすシーンは哀しみと慈愛に満ちていました。可愛がっていた弟のような宗吉に、これ以上あげられるものがなくなった時に、私の真心をと宗吉に向けて飛ばすものです。

宗吉は初志を貫き医師となり、時は流れ、駅のプラットホームで遅延している汽車を待つ一時の間に、思い出の神社が見えて、かつての哀しい思い出がよみがえってきます。

都会の人びとの冷たさ薄情さ、弱い立場へのしわ寄せ、一度堕ちたら這い上がれない不条理な世の中、女性が一身に背負わらされる苦労、男の狡さを詰め込んだ作品です。

溝口監督のプロフィールを多少は知っていたのですが、改めて確認したところ、映画の中で何度も出てくる神田明神は溝口監督が幼少期を過ごした町の神社。父の事業の失敗で、母は苦労の末に病死。姉は口べらしで養女として出され、半玉から十代で妾となり、一家を支えます。

溝口作品の中の逆境に生きる女性たち(観たのは7作品)は社会の底辺にいてもどこか強かで、そういう状況に陥ったのは愚かさもあるからだと監督が突き放しているようにも感じられるのですが、本作品でのヒロインの描き方はそれとは違って、清く哀れで弱い存在で、一歩ヒロインに寄り添おうとしています。

自身の生い立ちを反映させた作品だったのかと思ったら、台詞(サイレントの字幕ですが)で、山田五十鈴が男性を獣と呼び、宗吉もまた獣に見えているシーンは、姉に対して無力だったことへの懺悔にもみえました。

サイレントからトーキーへの移行期なので、音楽とナレーションによる台詞が入っています。近年入れた音のようで、映像の奥深さを妨げると思い、途中からミュートにしました。音無だと溝口監督の映像の鋭さをより堪能できます。

哀しみに包まれた美しい作品でした。
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