アメリカの脚本の教科書に必ずサンプルとして取り上げられる作品。
教科書の新旧に関わらず取り上げられると云うコトはそれだけ不朽の名作と云うコトなんだろうな。
さて、どこがと云うと、
ズバリ、テーマを見える化してると云うコトなんだと思う。
主人公はドラマの中盤で絶望して、命を断とうとする。
自分が生きていてもいなくても世の中変わらないんだ、ト。
すると、主人公の担当守護天使が彼を助ける。
コノ守護天使はオープニングから登場、声だけだけど、
しているので、突然姿を現しても違和感を感じない様に出来ている。
コノ守護天使の設定が、
作品をファンタジーであるコト、
何が起こっても不思議でないコトの印になっている。
そして、守護天使は、その力で、
主人公がもし、この世界に生まれていなかったら、どうなっていたか?
ト云う世界を主人公に見せる。
ト云うより体験させる。
その世界で主人公は自分が生きている意味を知る。
ト同時に観客も知る。
そして、現実世界に戻った主人公は、
人は生きているコトだけで素晴らしいと云うコトを実感する。
そして、怒涛のハッピーエンド‼︎
コノ、テーマを見える化して主人公と観客に体験させるト云うアイデアが当時は画期的だったんだろうな。
何しろコノアイデアは未だに使われてるくらいだから。
もしもの世界設定を主人公が体験するト云う物語はみなコノ作品が原点なんだろうな。
実は何度も見直していて、今更ながらの感はあるのだけれど、
今観ると確かにフリが長い。
130分の上映時間の100分がオチのタメのフリだから。
でも、フリの後の怒涛の30分は今観ても確かに凄い。
なんか、朝から懸命に働いて来た後の最初のビールの一口みたいな感じだ。
ああ、このために一所懸命働いて来たんだよな、みたいな。
さて、ファンタジーと云いながら、
本編の描写は実にリアルで、
それは、アナタの物語ですよ、
ト観客に感じてもらうためのものなのだろうけれど、
例えば、守護天使が登場した時の主人公と橋の管理人の反応が実にリアル。
守護天使の存在を二人ともなかなか受け入れないのだ。
管理人など、恐怖に駆られてその場から逃げてしまう。
実に論理的。
実にリアル。
嘘くさいファンタジーだったら、すぐさま守護天使の存在を受け入れてしまうだろう。
コノ論理的な反応が作品のリアリティーにとってどれだけ重要か?
ト云うコトも先の脚本の教科書にも書いてあるのだが、
嘘っぽい映画と云うのは、
実に非論理的だと云うコトである。
あ、話題が逸れた。
ともかく未見の方は是非一度ご覧下さい。
何かに絶望した時、
逆に幸せな時、
クリスマスイブ、
などのタイミングで観ると効果絶大ですぞ‼︎