あなぐらむ

都会のアリスのあなぐらむのレビュー・感想・評価

都会のアリス(1973年製作の映画)
3.8
告白すると、途中で寝た。
日本公開の1988年はサブカル界隈では「少女論」ブームがあり(「四月怪談」レビュー https://filmarks.com/movies/18058/reviews/149265747 参照)、本作はヴェンダースのロードムービー三部作というよりは、こちらの文脈で紹介されたように記憶する(「まわり道」「さすらい」とは別公開だった筈。というか自分がこの二作は有楽シネマで観ている)。本作はモノクロで撮影された非常にコンパクトな、言ってしまえばミニマムな自主映画だ。
故にフィリップを演じるリュディガー・フォーグラーはヴェンダースの投影・鏡像と思っていい。
社会と繋がれない彼と、まだ幼い孤独な少女「アリス」(イェラ・ロットレンダー)が旅をする。アメリカからオランダまでアリスを送り届けるというよりは、空っぽになっていた彼の魂の安息の地を探して(それはどこにも無いかもしれないが)旅をする。そういうロードムービーであり、これは「まわり道」「さすらい」で規模を変え、スタイルを変えてリフレインされる。
フィリップはアリスの擬似父性としてふるまう事で、社会と接続しようとする。だがそれはうまく行かない。二人は別れてしまう。ラストのミュンヘンへ向かう列車は、別れを約束された旅だ。それは人が生きていくという事とイコールである。ヴェンダースはセラピーを自らに施すように、本作を撮っている。
ポラロイド写真が使われるのは後年の「パリ。テキサス」に通じるものがある。これはヴェンダースが「写真」というものに
フェティッシュを持っている事を示している。彼の写真集のあの渇いた、がらんどうの風景は、彼の心を映している(た)。
「独り言とは、独りを聞くこと」。

面白いのは、敬愛する小津を意識していながら、殆どが即興で撮影されている点。勿論ヌーヴェルバーグ的な手法ではあるのだが、カチッとした完全撮影所主義映画である小津作品が、ヨーロッパでは非常にアーティスティックで独創として見えているという事だろう。そのねじれはそのまま、今も多くのヨーロッパ映画人の共通認識なのだろう。
撮影はヴェンダース作品に欠かせない名手・ロビー・ミュラーである。移動撮影がすこぶる気持ち良い。
なお、フィリップはヴェンダース作品でこの後も登場するが、毎回職業が違っているので、やはりヴェンダースが映画を撮る上で必要な外部人格なのだろう。