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さようならCPのkyokoのレビュー・感想・評価

さようならCP(1972年製作の映画)
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原一男まつり2本目。

この作品の主要人物である横田氏と横塚氏が、あるcpコミューンで健全者文明を徹底的に否定する思想を叩き込まれた精鋭の革命家であるという事実は、上映後の監督の舞台挨拶で知った。
なるほど、そういう背景を持つ人物だからこそ実現したのだろう。
まさに闘う映画。
車いすを捨てて膝でいざり歩くなんて、ただ者じゃない。
(サポーター着けて~と思ったのは私だけじゃあるまい)

彼らの言語を聞き取ることがほとんど出来なくて、「極私的エロス」以上にストレスがたまるが、英語字幕も含めて必死に食らいついていくと、彼らの思いが垣間見えてくる。

「(募金活動で)マイク持って怒鳴る時にどうしても自分がみじめだという気持ちが出るのにどうぞよろしくお願いしますと言ってしまう。自分の頭の中ではそういう言葉を否定しようとしているのに、お願いしますと出てしまう」

「映画で自分たちはこんなことも出来るということを証明しようとしたのに、そうではなかったことに気づかされて自分は空っぽになってしまった」

一度は否定した健全者文明に再び幻想を抱いていた横田氏の、空っぽの肉体はどこに向かっていくのか。


障害者が社会の一員どころか人間ですらなく、母親の障害児殺しが社会問題となっていたのは遠い昔の話のように思えるけれど、相模原の事件が起こってしまった今、美談とは程遠いアプローチから作られたこの作品を改めて知らしめる必要がある気がした。
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