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ダンケルクのotomisanのレビュー・感想・評価

ダンケルク(1964年製作の映画)
4.1
 フランス兵の週末はダンケルクから英国へ。
 しかし、この「週末」がなぜ英語と同じ"Week-end"なのか?ケベック人は使わないこの言葉をフランス本国で常用しているという。長らく角逐を続けた隣国からいつどのようにこの言葉を受け容れたのか経緯を記した資料が中々見つからない。そこで思ったのは、その発祥は案外1940年6月はじめの週末、ダンケルクの事に由来するのではないかという事だ。
 このとき14万人近いフランス将兵が英国に移動しドイツ相手の無駄な消耗を避けられたのだから、フランス側にはなにかと屈託もあろうが、一分の恩義も覚えて然るべきだろう。そこで、ささやかに"Bonne week-end!"。文化の鎧をおろしたそのひとことに、この週末に英国がとった労とはらった犠牲に謝する含みを想像するのは過剰だろうか。
 "Week-end"の謂れについては想像の中の事だが、そのいっぽう同じ週末の海辺で14万人から外れて渡海も果たさず、殿軍に参加するでもなく生き死にした人々の話もあるはずだ。原タイトルでは「ダンケルク」とはおくびにも出さないこの「ダンケルク」は言わば、そんな"Bonne fin de semaine"な人々を通じた無力に潰滅するフランスの物語である。

 当時の戦況は絶望的だ。ソ連は条約で、アメリカは孤立主義で動かず、退避先の英国もまた通商破壊でジリ貧。仏英連合は軍を水際に追い詰められてパリまで最早素通し。しかし、そこから軍の一部でも英国に逃れられればまだしも巻き返しの機会があるかもしれない。
 そんな中、前線で部隊が壊走し丸腰同然で退却してきた兵マイヤが司令部にたどり着く。所属部隊の撤退報告が戦況地図を埋めるバツ印をさらにひとつ増やしたのを見て、これからどうしようかと問えば、ダンケルクに行け、泳げるなら英国まで18kmだと告げられる。
 漁船や遊覧船まで動員した撤退は輸送力の余裕がなく、独軍次第で継続も危ぶまれるため英兵優先は当然の判断だ。ただ予定は未定、週半ば完了の作戦は幸い独軍の攻勢も詰めきらず、結果、週末まで延びて仏兵14万の離脱も叶ってしまう。

 6月1日土曜日、その朝、船に乗れるかどうか、誰にどう談じ込めばいいかも分からず、戻る隊はさらに無く自由そのものなマイアだが、実は浜と砂丘を埋め尽くしたフランス兵十数万もみんな指揮を失い命令も途絶え、各自、各部隊の判断で勝手している。
 その一角で、擱座した救急車を根城にマイアのほか、戦う神父ピアソン(兵)、商売人バリー(中尉)、女房が恋しいアレクサンドル(兵)が集っているが、みな、船に乗れても海で死ぬという。陸に上がれても別の戦線に回るだけだともいう。そんななか商売人はそれより民間人に成りすますとコッソリ打ち明け、ドイツ語がいけるなら一口乗れとまで持ち掛ける。後ろ暗い話に決まっている。
 みんなフランスが敗けつつあることはよく分かっているが、今が初めてな事でもなし。ドイツだって兵十数万を謎の収容所に送るのはきっと非現実的(!)だろうし、武装解除して帰郷させるのがいいところで、この砲爆撃と機銃掃射を逃れれば無碍に殺されはすまいと思っているのだ。あとはいつ誰が白旗を上げるか、おそらくほとんどの者がその朝、渡英ができる、その方が得だなどとは思っていない。だから敵機の襲来にも誰も反撃しない。

 こんな向かう先の分からないくせにせわし気で、それでいてのらりくらりな風景には見覚えがあって、それがセリーヌの「夜の果ての旅」で描かれた部隊集結地風景である。
 フランスが毛嫌いした非国民のフランス人、前の大戦では英雄的伝令と称賛されたセリーヌの最初の小説のこれが物議を呼んで、さらにこの1940年頃にはドイツを褒める著作を出し続けて、戦後は長くデンマークで流刑となってのち特赦、1961年にフランスで亡くなっている。その3年後のこの映画である。
 戦闘に行く者戻った者のごった煮を俯瞰する急あつらえの愛国主義者、若い主人公バルダミュの、まもなく芽生える戦場への嫌気がそのまま全世界的根無し草心理に嵌り込んでゆくような様子がなんとなくJPBにぴったりな気がするせいでもあるが、ここズイドコートの浜もあらゆる人間がダンケルクまで50万も集まってもそれは男で兵ばかり。なにも生まないで待つのは死か次の命令か、どっちが先に来るだろう。ただし、その命令ももうどこかの前線への投入ではないと薄々分かっている。
 この負け戦の収拾で何が待っていようと、死ぬ確率が減るだけでも今よりはるかにましに違いない。誰もその事を口外しないが、四半世紀経って誰もそんな話は聞きたくないだろう。しかし、終始丸腰のマイアを眺めて、全編を通じ、兵たちが誰に命ぜられるでもなく銃をとるのが失墜した空のドイツ貴族への一斉威嚇発砲一発きりというお上品さを見れば、この映画が俺たちに挑戦している事を元兵士ならみな感じたのではないだろうか。

 無駄な想像だが、日本軍ならどう対処するだろう。たとえば日本人がフランスに位置を占めて千年、日本人のままではいられないか、第二次大戦も「二次」で済んでいるか?戦争の様相も全く異なるかするだろう。それでも、このモラトリアムな救急車党にはいささか痺れが切れる。だから、この半日で撃墜1機、間諜2名射殺、討ちてし止まぬピノの在り方が一番性に合う。
 しかし、こんな戦場の態を成さない浜辺の数十万人による右往左往で、ピノの対極をなすマイアの渡英して何になるか見通し無し、それでも渡ってみようというのも、この敵と海の挟み撃ちな切羽詰まった中ならばよく分かる。

 ところが英軍指揮官ロビンソン大尉の個人的知遇を得て乗船にこぎつけても敵襲に遭いわずか18kmの渡海を果たせない。知り合った新しい仲間もみな亡くして救急車党のもとに戻って来て、改めてこの話のつかみどころのなさが気に障ってくる。奇跡のような撤退作戦の苦心を目にするはずが何を見せられているのか分からなくなるのだ。
 そこに起こるマイヤの神の機能不全論もピアソンの反論も空論に過ぎず、夜の果てに立つバルダミュの人生捨て鉢で流れる先を知らない様子と神も仏もないこの海岸の週末で途方に暮れるマイアとが重なって感じられ始めるのだ。
 だから、保守的アレクサンドルがマイアの身代わりのように死に、ピノは原隊復帰、神父ピアソンも病院ですべき事をすると言って去るのち、その場で仏軍の渡海が組織的に始まる事を告げられても、もうマイアは応じる気持ちを失っている。しかし、ここに至ってマイアのいわば本流を泳げない質というか、裏街道の開拓者、商売人デリー中尉とも違う、夜の野道を掻き分けて文明の灯りも原初以来の星野原も一視遠望するような裏道人生が開けるような気がするのだ。

 するとこれはもうこの大戦場でのマイヤ個人の物語である。マイヤがそのように転じるきっかけのもう一つは変わり者ジャンヌのせいとも言えそうだ。マイアを四たびも彼女のもとに赴かせて賊徒2名を殺させ、常軌を逸しかけているジャンヌは夫婦の約束まで迫る。この異常事態になってもう足が抜けない。
 この二人の奇怪さは何だろう。マイアが渡船場で出会った英仏カップルの死んでも離れまいというのにぶつけたような怪女ジャンヌとの腐れ縁がダンケルクの無駄に自由な澱みだから産まれてしまったようで痛々しい。これを眺める'64年のフランス人の上向く経済、ポスト・アルジェリア危機、独立不羈なゴーリズムの気分に水を差すようではなかったろうか。セリーヌといい、このジャンヌといい、敗走を戦略的価値転換させたそれからの5年をいいことにあの1940年で浮かれるなと釘を刺すように毒々しい。

 そんなマイヤの、軍を抜けるから一緒にここから逃げようと告げ、ジャンヌを半日で消滅した救急車党の本拠地で待つ事のどこか虚ろで一緒に常軌を逸してしまって見えるのがとても哀しい。弾雨に曝されて死んでゆくマイヤも哀しいが、同じ砲火に見舞われながら平然とマイヤのもとに向かう真赤な勝負服のジャンヌの迷いのなさは、はじめ戦乙女と頭に刺さったのが直ぐに不気味なにかへと変じ、更に既に親独政権下で協力者として生きてゆく将来が約束されているヒロインの砲列の花道のように見えてくるのが怖い。
 まちがっても弾なんか当たらない。逆立ちした天地にマイヤがそれと気付いて息絶えるのだろう。こんな監督が最後にやさしさを投げつけるなどは信じられないから。