教授

キートンのセブン・チャンス/キートンの栃麺棒の教授のレビュー・感想・評価

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ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」から20年ほど経っても、現代から見ればまだまだ「映画草創期」で、サイレント映画の時代。
Amazonプライムでは、澤登翠の「活弁」がついての鑑賞。
なんでも観ていれば慣れるもので、澤登翠の活弁によってより「ストーリー」は見事なまでに観やすい。

その上でまず基本的な「喜劇映画」としてのプロットが非常にカッチリと構成されている。
今で言えば「お約束」とか「雛形」という言うべき「ベタ」なプロットが用意されていることで親切設計だと言える。

その叩き台としてのプロットに対して無感情な「パントマイム」芸、つまりは「動き=テンポ」と「間」でジワジワと笑いを生み出すバスター・キートンのコメディアンとしてのセンスは圧巻。
恐らく、文脈を用意しないと理解はできないことはわかりつつも、映画における笑いは、決して「漫才」における「ボケとツッコミ」という喋りが中心の芸ではないことが本作ではよくわかる。

本編、端々にある「女性差別的な主題」と「人種差別」ネタ。
そこをあげつらったとして、100年も前の映画にそれは野暮だが、笑いの歴史を考えれば、そういった「差別」とは常に紙一重であることも事実。
本作、終盤の「欲に駆られた」女性たちの集団に追い回されるというホラー的演出と、逃走劇としての圧倒的な映像的スピード感と、カメラと演者の身体性など「映画でしか表現できないカタルシス」な満載。

もはや定着もしつつあるジャッキー・チェンとの親和性も含めて「映画史」に接続された名場面である。
物語の躍動がヒートアップして映像的なカタルシスと繋がるという部分で掛け値なしに、本作は「映画」であるし、その正しさは今も古びない。
大変、興奮した。
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