先日寄席に足を運ぶ機会があったのですけど、生の落語のリズム、グルーヴ感といっていいんでしょうかね。そういったものに笑いを超えて感動しました。
落語は落語で、もう少し今後いろいろ足を運んでいきたいところです。
噺家でも、身分は前座、二ツ目、真打と段階があり昇進していく訳ですが、
寄席で直接見て興味深かったのはこの二ツ目の方々でした。
テレビでも観ることができる真打ちの噺というのは当然ながら完成されているんですね。二ツ目の段階の方の噺は演芸場以外で聴く機会はそう多くありませんが、
すでに落語としてのリズムが面白いと思わせる方と、
その一方で完成度に隙を感じ、噺に途中で集中しづらくなる方、
それぞれいらっしゃるのでこの明確な差異はどういうことなんだろうか。
(にわかの目には真打ちばかりしか観てきていなかったので)ずっとその違いが気になってしかたがなかったところです。
今作の主人公は真打ちになる前の段階、二ツ目。
噺家として、段階的に完全ではない。というところがポイントです。
二ツ目で行き詰まった状態ではありながら、訳がある三人の「話をすることが苦手な一般人」に「落語」を教えるのですが…。
全体の雰囲気としては静かな90年代の日本映画 アルゴピクチャーズ系です。とおもったら監督はかつて実際それを撮ってきた平山秀幸氏でした。
出演者それぞれに落語を披露するシーンがあるのですが、演目丸々覚えたのであろうそのくだりの表現力は皆さすがでした。
二ツ目の国分太一扮する主人公も彼らと交流することで何かを掴み、これまでと異なる一段階上の表現を身につけたとするクライマックスの落語に抜群の説得力があり、このシーンは映画全体の白眉といえるところです。
実際の落語の雰囲気には及ばないという方がいらっしゃるかもしれませんが、そもそも落語自体かなり高度なスキルが必要な芸であると改めて気づかされます。(改めて噺家の方、今回の出演者の方、尊敬します。。)
落語は様々なシチュエーションにおける微妙な感情を取り扱う、戯画的表現があります。この映画もシンプルめで大きな大事件を扱うというお話では無いのですが、それぞれの微妙な心もように変化をもたらしそれぞれが影響しあうアンサンブルが良かったです。その機微を大事にしたいと思える映画でした。
(原作は未読ですが、フォローさせていただいている皆様のレビューで興味をもち鑑賞しました。ありがとうございました!)