鶴八鶴次郎の作品情報・感想・評価

「鶴八鶴次郎」に投稿された感想・評価

秋日和

秋日和の感想・評価

4.5
「しかしなんだね、ああして並べておくと危ないね……」。映画の序盤に呟かれるこの台詞を聞いて、ハッとせずにはいられなかった。もしかしたら、その台詞の更に前、長谷川一夫と山田五十鈴が列車の中で「並んで」座っているシーンが用意されていたからかもしれない。そしてそのシーンは、二人が「並んで」いなければならないと言わんばかりに、互いの距離感を教えてくれるものでもあった。丁度、見えにくい位置にある黒子を発見することが出来るくらいに。
男の太夫と女の三味線弾き、二人併せて一組の新内語り、その名も鶴八鶴次郎は、舞台に上がる際は必ず隣に「並ぶ」ことになる。それは勿論当然のことだ。けれど、そのことがいつしか当然ではなくなってしまう予感に、この映画は充ちている。長谷川一夫の隣に「並ぶ」のは山田五十鈴であって欲しいと願いつつ、そうはならないだろうと思いながらただただ画面を見つめなくてはいけなかった。ある一組の男女がだんだんと近づいていく様が見事だった『乱れる』とは対称に、だんだんと二人が離れていく映画なのではないかと、ついつい思ってしまったのだ。
この映画で誰かと誰かが喧嘩をするとき、人は「並ぶ」ように配置はされず、「向かい合わせ」の状態になる。「向かい合わせ」になった二人は、例えば互いの言葉や物をぶつけてみせたりする。けれど、その状態を不幸であるとは思えない。本当に哀しいのは、たぶん、言葉や物をぶつけ合えないことの方である気がする。だから、石ころをポイッと投げ捨てる姿があんなにも切なく捉えられているんじゃないかな。
人を「並ばせる」為の装置みたいに映画の中盤でベンチが登場するのだけれど、その使い方が本当に素晴らしかった。人はどんなときに誰かの隣に「並ぶ」ことができるのか、或いは「並ぶ」ことができないのか……そういう思考が監督の頭の中で働いていたのかは分からないけれど(劇中の中でやたらと「並ぶ」という台詞が出てきたので、多分確信犯だ)、あのシーンにはこの映画の良さがぎゅっと詰まっていると思う。空白を埋め立てること/埋め立てられないことを濃やかに描く成瀬、やっぱり好きです。
Lalka

Lalkaの感想・評価

4.3
『残菊物語』とは同列で対極。まず、芸道物で溝口の幼馴染み川口が原作、山田五十鈴が出演してるとなると『残菊物語』と比べたくなる。まして両者が新派劇で重要な位置を占める題材なのだからそれを知っている人はそう思うことだろう。

また、結婚していた成瀬の低迷期とかつて言われていた時期の異色作になるのだと思う。『浮雲』や『秋立ちぬ』が成瀬らしいとは言いにくいところがあるのだからこれもそうでしょう。

カット割りに表現の省略と成瀬印で映画の作りの上で『残菊物語』と全然違う。話の上でも違うわけだけど零落れて地方巡業したりとか相似点も多い。あと2人の喧嘩だけどいわゆるツンデレってより、人生を左右するような爆弾的なことを平気でしてしまうのは、やはり設定が芸の世界ならではというべきところか。客が芸をわかってないのもやっぱりどっかで見た感がある。

零落した鶴次郎が回想してるのだろうか、あそこはこないだ観た『腰辨頑張れ』を思わないではいられない。

ツンデレなカップルの喧嘩なんてのは、下手な撮り方でなきゃ笑えるもの。もちろん経験的なことから入れ込めるかもあると思うけど、一々、自分の女に不平言うのなんて男なら大抵あるでしょ?それをラスト10分で笑いから感動に変えてる。
成瀬巳喜男監督作品を久しぶりに鑑賞。
新内の人気名コンビの鶴八(山田五十鈴)と鶴次郎(長谷川一夫)が互いに愛情を抱きながら、喧嘩しながらも芸道と恋愛の葛藤を描いた感動作。
トーキー映画でありながら、映画の「間」が何となくサイレント映画風であるのは、1938年発表作品だからか…。

物語は、人気の絶頂にあった新内の2人、鶴八(山田五十鈴)と鶴次郎(長谷川一夫)だが、鶴次郎が鶴八の三味線に文句を言って喧嘩したりするのだが、芸一筋の道を究めようという姿勢が見られる。
2人とも愛し合っているのに、成り行きでコンビ解消、鶴八は家庭へ…。
そして、「鶴八鶴次郎」としては有名だったのだが、「鶴次郎」だけだとドサ回り、という哀しい状況。
ここで「一発奮起させよう!」と動き出すのが、2人のコンビ時代からの知り合いの男(藤原釜足)。藤原釜足がイイ味を出している。

長谷川一夫が「粋」な男を好演。
なかなかの感動作であった。
ENDO

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4.2
浄瑠璃新内節鶴賀鶴八鶴次郎は若くして名人会に登壇する才気溢れる二人組。山田五十鈴が透き通るように美しく可憐。気丈だが和解すると途端に少女のように紅潮する。長谷川一夫はあまりに感情的。成瀬映画の男は本当に度量が小さい。芸人として同格であり幼馴染だからこそ素直に芸の談義すらできない。些細なことで沸騰して辟易する。勝手に嫉妬して拗ねる。面倒。10年以上前付き合って別の男に取られそうになり初めてプロポーズする。今回女は巻き込まれずに伊豫善に嫁ぎ堅気の妻として裕福な生活。お豊には彼女なりの地獄があるのかもしれないが。喧嘩別れして感傷に浸るのは自己満足ではないのか?辛かった。
くっついたり離れたりじれったい二人が可愛い。
大人の少女漫画的な成瀬作品。

すーぐくだらないことで痴話喧嘩としか言いようがない喧嘩を始めるので、だんだんそれが面白くなってきてついつい笑ってしまう。微笑ましいと共に また始まったよやれやれ…感がたのしい。

芸の道で売り出される二人組の絶妙なむつかしさについても描写され、数多の終わりを迎えた二人組グループに想いを寄せてしまった。
二人組の奥の深さは今に通じるモノあり。

哀愁漂う感じはさすがで、本当の愛って感じが最後まで少女漫画っぽい。

ず〜っと気分屋坊主だった長谷川が、辛酸を舐め成長し最後に男を見せる。
相手の将来を見据えた優しさに感動。

山田五十鈴姉さんは相変わらず凛としていて美しい。伏し目がこんなに優美な人って今はいないよなあ…崇め奉りたい🤦🏼‍♀️
イマジナリーラインとかいう壊されるためだけの装置。むしろあらかじめ内在されているような否定性こそが二者の接続を顕在化する?
濱口竜介の「親密さ」でもそうであったが、やはりある映画において二人が向かい合うことは亀裂を生む作用が働くことを意味するようだ。
代わりに三味線と大夫の語りの舞台やベンチは男女が同じ方向を向いて並ぶ装置となり、関係性は親密さを獲得できる。
序盤の芸事の喧嘩の見せ方が素晴らしい。
切り返しによって鶴次郎と鶴八が映画表現上向かい合わされた後に、亀裂を生んだまま劇場を時間差で出た二人は通行人の邪魔により、結局並んで劇場を出ることになる。
二人の関係は喧嘩しても寄りを戻さざるを得ない関係であることを示すのだが、成瀬巳喜男はこれだけに終わらない。
劇場を出て同じ方向へ帰ろうとした鶴次郎と鶴八を、鶴次郎は戸惑いから別の方向へ帰る。
序盤の喧嘩の展開から、すでにこの映画の鶴次郎の鶴八との下手くそな別れ方しかできない結末を描いて観客に示していた。
丘

丘の感想・評価

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2018.10.11鑑賞。
あらき

あらきの感想・評価

4.0
鬼畜・成瀬巳喜男(褒めてる)
某チャチャチャゼルに100回観せたい
成瀬式ラブコメ
いやー良かった

めちゃめちゃ王道は王道なんですが
カットとか演出が憎いですねー
たまりません
どうしても芸人の話は、バンドマンに重ねて見てしまうのですが、一芸を持って生活していこうと少しでも思ってる人が見ても、男女の恋心の機微の話に絡まる、経験による人間の器の成長と「芸」というものへの繊細な意見に
なかなか感じ入るところもある作品だと思います。
ラストはなるほどなーと。

芸があるだけが芸ではないし、愛があるだけが愛ではないと、いつも女性は教えてくれますね。
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