Azuという名のブシェミ夫人

仮面/ペルソナのAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
3.9
ある日突然言葉や体の動きを失った女優エリザベートと彼女に付き添う看護婦アルマ、物語のほとんどは二人の会話劇。
エリザベートの症状の理由は分からず、病院の検査結果では精神的にも肉体的にも問題はないように診断された。
二人は共に生活しながら寄り添っていくのだが・・・

自分の中に一本の感性の弦があるとして、それを切れそうなくらいにピーンと張り詰められて、まるで挑発するように指先で弾いては弄ばれている。
そんな衝撃のオープニングから、無音であることが異様に恐いエンドロールまで、ずーーっと身体中の肌がゾワゾワしていた。
今まで観たベルイマンの2作とはまた違っていて、なんて色んな感覚を持ち合わせた監督なんだろうとワクワクしてきてしまう。

始まりにアルマはエリザベートに何か意図があるのではないかと言っていた。
それとも本当に心を病んでしまったのでしょうか。
“意図的”な動きというのはなかなかに疲れるものです。
例えば私達が、家族の前や友人の前、先輩や後輩の前、恋人の前で見せる顔は個人差はあれど各々違っているはずです。
ただその殆どは無意識に切り替わるものであり、意図的に演じているというわけではありませんから、その切り替えによって疲弊するということはあまり無いでしょう。
そうですね、せいぜい友人と一緒に居る時に会社の同僚に出会ってしまって、どっちの顔をしたら良いのか何とも居心地の悪いような気恥かしい様な状況に陥るとか位のものでしょうか。
俳優の場合には自分では無い者に変わることを全身で意識し、意図的に仮面を被り続けなければなりません。
他の人間に比べれば遥かに仮面を切り替える場面も多い女優エリザベートにとって、そのことが精神力を非常に消耗させたのだとは思う。
しかし、『仮面を被っている』という意識があるのであれば、つまり他者の存在や視線を肌で感じているのでしょう?
たった一人きりならば、仮面を被る必要など無いのですから。
他者の存在・視線があってこその仮面・・・それならば何だか奇妙に思えるけれど、仮面を顔にくっ付けている内はまだ本当の心の孤独には陥っていないのではないでしょうか。
もしかすると、他者と共にあることを十分に分かっていながら、何の仮面も必要ではないと感じている人間の方が、むしろ心の均衡を危うくしているのかもしれません。
私には仮面など必要無いし、持ち合わせてもいないと思っているつもりが、他者の眼どころか自己の存在すら感じられない孤独の中に自分を置いているだけなのだったら?
彼女達を見ながら、そんなことを延々と思ってしまった。

私にはこの物語を理解しきることは出来なかった。
だけど、こうしてああでもないこうでもないと考えること自体が好きだから観て良かったと思うのです。