オープニング、怒涛のモンタージュによって予め開陳される物語。抑圧され二分化された精神。ドッペルゲンガーとなった二者は新たな仮面を得て再び合流する。
仮面を被るという題材がそもそも映画的であるということ。冒頭の映写機に始まるモンタージュによって、物語が映画の枠組みを用いて語られること、「演じている」ことが強調され、本心と偽心の分離が示唆されている。
まぁぶっちゃけ言いたいことは最初のモンタージュに凝縮されていると思うしそこを突き詰めて分析したらいいとは思うんだけど、個人的にこういうチカチカしたのはあまり好きになれない。真面目すぎんだよベルイマン。