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仮面/ペルソナのLudovicoMedのレビュー・感想・評価

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
4.4
「どうか顔だけは、やめて‼︎。(仮面には触れないで)」

ベルイマン監督の中でも難解寄り、というよりは、熱狂的なカルト人気を誇る。しかしその信者は今をときめく、巨匠達のシネフィル時代に集中し、解読不可能な作品の全貌はさておき、そのヴィジュアルこそに歓喜、大熱狂を収めた。

前衛的なそのアバンタイトルの先制攻撃にノックアウト。
そこから始まる、穏やかな会話劇がまるで第七の封印の死神と対峙する如く、緊張感ピリピリな『ペルソナ』同体感覚を持った自己との対立が描かれます。
そのクールすぎるアングルと、背筋がゾッとする様な、ヤバい物が写り込んだ感。
とにかく楽しすぎる82分間に巨匠達は、惚れ込んで30年後の"ファイト、マルホランドドライブ、クラブ"も同じ題材を扱った程の影響力だ。

この静かな会話劇は、一方が沈黙し、もう一方はマシンガントーク。この2人の役者の演技合戦も凄まじいものだが、どちらかは分からないが一方は存在しない、ドッペルゲンガー的要因だと思われる。

劇中では、2人の望まれない子供についての告白があり、本作は人格が入れ替わって、なんたらの話以前に子供がその様子をウォッチしていることが大前提としてある。

冒頭、フィルムが回りいくつかの映画が投影。主人公どちらかが、歳をとって亡くなっている。かと思いきや、目を開き少年の前に巨大なモンタージュ(霊的な)として現れ、子供にとってはトラウマすぎる恐怖の仮面劇場で身の上話が語られていく。
劇中エリザベートは顔への攻撃の「やめて‼︎」と「無」としか話さない。
仮面の下は、墓場まで持っていきたい秘密、あるいは記憶から抹消した黒歴史がそこにはあり、その元からメタ的に映画全体が構成されている。
そう、我々観客は仮面を剥がし真相をえぐる物語ではなく、仮面の内側から彼女達の深層心理をウォッチしていたのです。
その為、本作は訳の分からない歪な作品に見えてしまう。

物語が終わってもなお、母親の幻影に触ろうとする少年の姿はなんとも悲しい。
歳を取った青年の姿ではなく、少年として映し出されているあたりが、主人公の子供による、映画全体が夢なのではないか、とまで思えてくる。
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