実存、ここにいる
そうか、これも"何か"を作れなくなった者の苦悩についてだ。
その手の映画のベスト級だとされている。
いつかきちんと観返してみよう。
きっちり映画の上映時間の真ん中、折り返し地点、「秘密の手紙」を読むところ から観ていた。42分間。
素晴らしき、神に感謝するような思いになりました。Ingmar Bergman監督はキリスト教など信じていない。おそらく。
自分が"誰なのか"分からなくなったヒトの話。
何度もここで書いていますが、
『Persona』(1966)とは…
(おそらく)時代の要請から、彼が登場して以降、George Miller監督の『Mad Max: Fury Road』(2015)が「ゲームの規則」を変えるまで、この映画がNo.1だったのではないか⁉️
『Persona』(1966)とは…
あなたがいなければ何も知ることもなかったし、何かを作ることもなかった。私の存在する意味も理由もあるはずなく、あなたが始まり。あなたも誰かによって常に解釈され続ける、彼や彼女といった3人称がひしめき合った場所が世界なのだ。2人称などない。ましてや1人称など有り得ない❗️だからこそ私という"何らか"は(意味ではなかったけれど)存在ではあるとも言える。
『Persona』(1966)とは…
僕はいつからか男性性を捨てたいと思って生きてきた。LGBTQとかの話ではなくて。もっと思いっ切り生きたいのだ。自分の中の女性性も取り込みたい。女装とか性転換とかの話ではなく。1人の少年の成長の話だね。腕っぷしの強さではなく、弱さや優しさを 学ぶ こと、
人生には意味があるのかもしれない。でも意味は人間関係が作り出す幻想なのかもしれない。分かってくれなくても良い。最小単位である i はあらゆる意味から解き放たれ、ただそこで生きていれば良いのだから。
なので
ここにいる。実存 = 何のために存在するのか。そんな問いがあるのならこう言うんだ。
「生きている」